世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言なり。
吉田兼好著「徒然草」第七十三段より
重箱の隅とばかり仲良くしていれば、やがては虚言ばかりになってしまうでしょうよ。(梅太郎流意訳)
ブレずに信念を貫いている人が、実は真ん中に居たという事があっても、ありえない事でもありません。
真ん中ぼっちを恐れることなかれ。
梅太郎も特に大男ではありませんし、筋トレなどというのも縁遠い人種です(身長は5尺8寸、脂身で少々武装している程度です)
体格・筋力が勝っているなら、その分は飛ぶのが当たり前で、そんなものは何の自慢にもなりません。
同程度の体格の人以上に飛ばしてこそ(しかも、あたかも普通に)真の価値です。
研究の一環として、過去には最大飛距離も追及していました。
普通の練習場*1なら3Wでネット越えしてたんですが、体もしんどいので今ではそこまで振りません。
現在のテーマは、如何に体への負担を抑えて尚且つ飛ばすか。
最近では、あんた一体どこ向いて打ってんの?というぐらいのオープンスタンスで打っていますが(左膝への負荷低減のためです)それでも1Wならネット越せます。
基本さえしっかり押さえておけば、特に形に拘る必要はないなと実感しています。これは、応用の部類ですね。
*1 ここでは、普通の練習場とは古くからある練習場と定義します。概ね280±10ヤード相当の飛距離があればネットを越せると思います。田舎なのでそんなもんです。
☆こうすれば、もっと飛ぶ
なんとも魅惑的な言葉で、ついつい試してみたくなるのは人情です。
しかし、この手の話は何十年も前から巷に溢れていて、本当にその通りならもういい加減結果が出ている筈だと思うんですが、一向に気配を感じられない。という結果が既に出ているんですよね。
では、何故飛距離アップという結果に結び付かないんでしょう。
その手の話の殆どが、小手先の事にばかりご執心してしまっているからだ。
冷静に考えれば誰でも気付く事なんですが、それでも甘い罠に落ちてしまう。
人間とは惑うことばかりの生き物です。
☆努力は必ず報われる
それは分かるんですが、そうは言っても無駄な努力はしたくないものです。
何が無駄なのかは、後になってみないと分からなかったりするので、現実的には無駄な事もしてしまうんですが。
重箱の隅を突いてばかりで、思い通りにならないとなったら、手を変え品を変えたつもりが、重箱の隅を渡り歩いていただけだったら、それはもう論ずるまでもなく無駄な努力と言わざるをえませんね。
☆大名行列
下ーにー、下に
ボールが下の方にあるから、ついつい意識(構え)も下ーに行ってしまいがちですが、
そこは、大きく構えて大きく振るくらいの意識がないと、セットアップの時点で気持ちが負けてしまっている様に感じるんですが
☆猫科の辞書に根性論の文字はなし
猫科ですから、軽く見逃してください。
ストイックに自分の肉体を虐める必要もなく、ましてや命の危険と隣り合わせなんて状況になった事もないし、それでいて補助動力なしで出しうる最大飛距離のスポーツですから、まぁ、お手軽なもんです。
同時に、お手軽さ故の難しさもあるんですけど。
何はともあれ、私にはぴったりのスポーツです。
誰もが考える様な事を考えて、誰もがする様な事をしたところで、結果は団栗の背比べにしかならんでしょう。
コロンブスの卵的逆転の発想、こんな事ばっかり考えてます。
シンプルだけど一応道具使ってますから、使い方次第で結果も大きく変わってくるので、これで中々奥が深いものです。
☆天動説
日々何気なく生活していれば、どうしたって、地球を中心に太陽が回っている様に感じてしまいます。
ゴルフに限らず、「こうすれば好結果に繋がるんじゃないか」と感じる感覚にも、万人に共通したものがあるんだと思います。ただし、必ずしもそれが正しいとは限りません。
それはもう、あらゆるゴルファーからまるで呪文の如く聞こえてくる、とある理論をよく耳にするんですが、私には、スイング理論の天動説としか思えません。それが本当に正しいという論拠は、終ぞ耳にしたことはありませんから。
皆がそう言ってるから、自分もそう感じるから、ただそれだけの理由であったなら検証してみるべきだと思います。
巷説を鵜呑みにせず、俯瞰し検証してみる。これが当研究室の主旨です。
☆通信高座
えー、毎度ばかばかしい話にお付き合い頂きましてありがとうございます。 ?
通信講座みたいなもので、本当に効果あるの?と、心配される方もいらっしゃるかと思います。
そりゃそうですよねぇ、私も未知数なんですから。
ただ、何事も考え方で結果も大きく変わってくるので、先ずは考え方を整理する事が大事だと思うんです。
「やるべき事」があるなら、同時に「やってはいけない事」も存在します。
どっちも同じ事で、言い方を変えただけなんじゃないの?と感じてしまうかもしれませんが、
意識していないとそうならないなら、やるべき事。
ほっとくとそうなってしまうなら、やっては(やり過ぎては)いけない事。
これらを整理しないと、そう簡単には纏まらないと思いますよ。
こうすれば・・・、プロはこうなっている、もうやる事ばっかりで、良いとこ取りの寄せ集めに過ぎない、とか。
こうしなさい、こうなっては駄目、よくよく考えたら思いっきり矛盾してますけど、とか。
よくある話です。
☆地球温暖化?
ミニ氷河期到来か?という意見もありますよね。
太陽の磁場の活動が停滞する影響で、地球上の雲が増える→やがて気温が下がる。
ざっくり言えばこんな論理らしいです。
この地域は、この3年ぐらい?、夏といっても梅雨明け10日前後は暑いですが、それからは曇りがちでたまに思い出した様に暑くなる感じの夏が続いています。
ただ、冬も特別寒くはないんですが。
このまま温暖化が進行するのか、それとも、温暖化と見えていたのは蝋燭が消える前の灯に過ぎないのか、結論を出すのは時期尚早かなと思います。
1600年代にあったミニ氷河期(マウンダー極小期)には、ロンドンのテムズ川が凍り付いている風景画が存在しているようですが、その頃の日本はと言えば、一説では、東北以北が大豪雪で西日本は干ばつだったとか。
直接的な要因が「雲」に起因するだけに、地球の気候が一様に変化する訳でもなさそうです。
それこそ、雲を掴む様なお話ですね。
最近、ゴルフ場(ショートコース)とゴルフ練習場が廃業して、太陽光発電にした所があるんですが、発電効率はお日様次第だと思うんですが、実際の発電力はどのくらいなんでしょうね
☆根性論?
もはや語り尽くされている事ですが、疲れてからの練習が重要ですよね。
根性論の文字は無い猫科の筈なのに何言ってんの、とか思っちゃいます?、実は練習好きなんですよん。
イチロー程じゃ無いですけど、よく揶揄されてきましたから(今でも)
論理性などまるで感じないのに、最後は根性論で押し切ろうとする様な精神論的な根性論は大っ嫌いですけど。
人間の体の使い方にも色々とある様で、また研究してる人が居るんですよね。
爪先体重型、踵体重型。
外側の筋肉を使う型、内側の筋肉を使う型。
その他あるみたいですが、単純に一括りにはできない事だけは確実の様です。
自分がそれで上手くいったからといって、誰もがそれで上手くいくと思い込んでる様な論理はお断り申し上げます。
自分に合った体の使い方は自分にしか分からないですから、この辺は習うより慣れろで、数をこなすしか無いですよね。
何処に向かって進んで行くのか、全体像と大雑把な方針のアドバイスは有りだと思いますが、その手段は結局自分次第なんだと思います。
☆米ナイキ、ゴルフ用具から撤退
アディダスも傘下のテーラーメイドの売却先を探しているそうな。
ゴルフ人口の減少は予測されていた事ですが、現実となってきている事を感じます。
まぁ、ゴルフも観るのとやるのとでは大違いで、取り敢えず一度ボールを打ってみない事には分からないんじゃないかと思います。
まずテレビ観戦には不向きですわな。
フィールドが広すぎてスピード感が無い、相手との攻防も無い、致命的なのは肝心の打球がよく分からない、着地してから「オーッ」て言われても伝わらんでしょう。
かくいう私も、周りが始めていたから何となくだったし、何よりオジサン達がやってるイメージしか無かったですよ。
でも一番長く続いてるんですけどね。
自分でプレイしてみれば、圧倒的に広いフィールドに異次元の飛距離で飛んでいく打球のスケールの大きさは、他の球技では比較にならないし、その上、グリーン周りやグリーン上の繊細さまで全て揃ってるんですから、他に似たようなスポーツが見当たらないですけどね。
アメリカでも、ミレニアル世代への普及が思う様にいっていないそうで、ナイキもタイガーと運命を共にしてしまったようです。
タイガーの時代の様に、ゴルフ界が劇的に変わってしまう事(タイガーの常識を覆した活躍と、用具の劇的な進化が同時期に起きた)はそう簡単にあるとは思えないので、厳しい状況が続きそうです。
☆目的と手法 2017/02/14
当研究室にも、練習メニューあります。
目的は、打ち急がない(振り遅れない)ための練習。実際にボールも打ちます。
でも、特に練習法に拘る必要は無いな、とあらためて思い知らされました。
目的さえ見失わなければ、自分に合った練習法が一番ですね。
この練習法は今でも続けています。地味なんでちょっと怠け気味ですが。
だからという訳でも無いですが、少しづつ、少ーしづつ、いつの間にか早くなってしまうんですけどねぇ。
これは長年の悩みどころで、結局、ヘッドを重くして適度にスイングスピードを抑制してますけど。
これなんかは、それこそ人其々なんでしょう。
☆歴史小説に関する記事は引っ越しました 2017/07/09
新しくページを作って、そちらに纏めて引っ越しました。
これの親ページに「番外研究編 歴史小説の巻」という新しく作った見出しでリンクされています。
新しい見出しが表示されない場合は、ページをリロード(再読み込み)してみてください。
「私の名を呼ぶとき、私はもういない」これは、私は誰?というただの謎々です。
答えは、冒頭文の中にあります。隠れる事も無く堂々としてます。
情景を想った時に、この謎々が浮かんでしまっただけで、特に深い意味はありませんです。
因みに、この謎々は映画「LIFE IS BEAUTIFUL」に出てきます。
「みる」という事をするときには、なるべく相対的なものとしてみる習慣付けをしてきました。
単独のものとしてみてしまうと、絶対性として認識する様になってしまい、視野が狭くなってしまう原因なのかと思えます。
ところが、「運命」というものを、単独のものとしてみていたことに最近気づかされました。
運命と対比させるものが何なのか、気づいていなかっただけでもあるんですが。
「運命を想うぐらいなら、道だと想え」一気に視界が開けた想いです。
開けすぎて、自分の進む道ってどれ? まぁこんなオチもあるけど、適当に進んでいればそのうち自分の道になるかな?
言葉には魂がある。言葉によって、人生がたやすくなるとは言い難いですが、人生を楽しいものに変える力はありそうです。
☆歴史小説に関する記事は引っ越しました おまけ 2017/07/10
歴史小説に限らず、成功例と失敗例と両方あった方が、信憑性も信頼性も一段と高くなりますよね。
歴史小説の場合、両方ふんだんにあるのが好きなところです(やはり史実が基になってますからね)
他人の成功例をなぞれば自分も成功できる、とでも思っているのか、はたまた、
他人の失敗例をなじっていれば、あたかも自分は正当だと思ってもらえる、とでも思っているのか、
何れも、思考が偏っている事には違いないですから、あまり興味は覚えないですね。
白圭が、「人生はたやすいな」と言ったのは、人生最期の時に自分の一生を振り返っての言葉だから重みがあるだけで、まだ道半ばの人に成功体験を語られてもねぇ、これからも大どんでん返しになんか絶対遭わない、とは言い切れないでしょ。
早成すると零落するのも早い、と言うじゃありませんか。
☆歴史小説に関する記事は引っ越しました おかわり 2017/07/12
才谷 梅太郎と書けば、皆まで書くな、と歴史好きの方からの声が聞こえて来そうですから、詳細は割愛します。
勿論頂いてます、ちゃっかり。
風洪(後に改名して白圭)と才谷さん(脱藩していた時の変名の一つ)の経歴が似ていると感じる。
剣の達人でありながら剣を捨て、商人となり、黄河の治水事業をした、風洪。
剣の達人でありながら剣を捨て、海運業を始め、日本を洗濯すべく奔走した、才谷さん。
大雑把に都合の良いところだけ抜き出しているのかもしれませんが、それにしても似ていると思いませんか?
人生の転機といっても、道を転じた時から直ぐに大きな目標を持った訳でもなく、一つ目覚めた事から覚醒の連鎖で、あれよあれよという間に、振り返ってみたら想像もしていなかった道を歩んでいた、と思ったに違いありません。
一言で言えば、波乱万丈という便利な言葉で済んでしまうんですが、この場合ちょっと味気ないですね。
何かに目覚めた時って楽しいですよね、それが何度も何度も目覚めてたら、さぞかし楽しい人生だったろうな、と憧れます。
田横さんの後を追った人達も、楽しい人生を共に歩めたから、自ら殉じていく事に迷いは無かったに違いありません。
勿論、そんな先の見ない人生は嫌、とか、最初から大きな目標を立ててその道を突き進むべし、とか百人百様ですから、まがいもの梅ちゃんの妄想と軽く流してください。
梅太郎がゆく、また読みたくなった(まだ言ってる、もうばれてるって)
☆歴史小説に関する記事は引っ越しました 三杯目 2017/07/19
要するに白は色、馬は形であり、このふたつをあわせた白馬は、形だけの馬とは当然ちがうわけで、白馬と馬がおなじものであるなら、馬は白馬であるといいかえてもよいはずなのに、それはありえない。したがって白馬は馬ではない、というものである。
宮城谷 昌光著「孟嘗君」 より
これは、田嬰(孟嘗君の父)の食客(説客)である貌弁先生が唱えた、「白馬非馬説」というものらしいです。
これの馬と白馬を、ちょっと置き換えてみると、
要するに貌弁は名、人は形であり、このふたつをあわせた貌弁という人は、形だけの人とは当然ちがうわけで、貌弁と人がおなじものであるなら、人は貌弁であるといいかえてもよいはずなのに、それはありえない。したがって貌弁は人ではない。
必殺、詭弁返し。
何やら楽しげな学問でおじゃります。
梅ちゃんにも新しい学説があるんだにゃ、「にゃんこ、丑三つ時の虹説」
にゃんこは、丑三つ時の虹を渡って宇宙からやって来た。
丑三つ時はにゃんこの天下ですにゃ。中でも二時八分は最高に盛り上がるにゃ。
梅ちゃんも食客になりたい。
☆いつまで一本調子なんですか 2017/07/20
先日、ネットのニュースで見つけた記事を、ななちゃんのページで引用したんですが、ここでは元記事をリンクはしませんが、
>ダル、米球宴で日本球界へ警鐘鳴らす 「全部のレベルで指導者が変わること」
引用した文章は上記の通りです。
概要は、ダルビッシュに言わせると、指導者が20年前から全然変わってない。と、こんな感じですかね。
あの時、こっちのページにも書くって宣言してたので(長くなってまーす)
これは、ほぼ全ての事に当てはまると思うんですが、草創期、成長期、安定期、変革期とざっくり分けたとして、その時々において、やるべき事もやり方も、適時変わるもんでしょう。
大概、草創期はがむしゃらに突き進むし、成長期に入れば広げていくための方策だってあるんだから、臨機応変に対応しなければ続かない、というのは、歴史も証明しています。
あの織田信長だって、ずっと力攻めしていた訳でもなく、美濃のマムシとだって手を組むし、面従腹背と知りながらも松永久秀(だったか?)だって味方に引き入れるし、せっかく硬軟織り交ぜて対応していたのに、理屈なんか一切通じない一向宗徒にブチ切れてしまったのが、道を誤ったところというか、不運だったというべきか。
そういえば、致命的に理屈が通じない、現在進行形で近隣にありますね。どうすりゃ良いのよー、、、梅ちゃんには分かんない。
歴史小説の中では(歴史研究家ではないので)、力攻め一辺倒に終始していると、まず滅びてます。
例えがいきなり飛んでますけど、
がむしゃらに突き進む時期も必要、それを否定する気は毛頭無いんですが、そんな事をいつまでもダラダラ続けているのも、ちょっと知恵がないかな、と思うわけです。
スキルアップしたなら、やる事(練習内容)だってそれなりのレベルアップが必要でしょう。
右も左も分からない新入社員に工夫しろと言っても限度があるし、かといって、いつまでたってもちっとも工夫しようとする意志が無いとしたら、それはどういう事なんだろう。あたかも、新入社員のまま成長していない様な指導者って、理解に苦しみます。
指導者(リーダー)の頭の中に成功体験が刷り込まれていると、一本調子になりがちなんじゃ無いかなー、と思うわけです。全てがそうだとは言いませんけど。
さらに問題なのは、偶に上手くはまっちゃう人だって、そりゃぁいるわけですよ。でもその例をもって、また成功体験として刷り込むのは、大きな勘違いと言わざるをえませんね。失敗例という分母を無視してはいけません。
これは、指導を受ける(付いていく)側にも、意識改革が必要でしょう。
指導者の背景の権威に服従しているだけで、やらされている感を抱いていたら、結局自分の成長に繋がらないだけで、損をするのは自分ですからね。
最初は集中的に取り組んで、その時に何らかの光を見いだせれば、楽しくてしょうがないからほっといても練習するし、光が見えないままだと、先が苦行になりかねないですから、そんな場合は、大胆に方向転換してみるのも必要かもしれませんね。
梅ちゃんの例で恐縮ですが、牛乳飲むとき肘を張るんです。だからなのかフライングエルボーですよ。その方が打ちやすい。
多分、前述の体の使い方に起因してると思うんですが、「トップの形は出前持ちの様に」だから何?
全ての動きが連動するように調整すれば良いだけだし、それを目的として練習すれば良いんじゃないんですか?
物事を静止状態で考えてはいけない、と強く言いたい。すべからく流動し、連動するもんです。
コ マ オ ク リ 静止状態としか捉えていない見た目のカタチって、そんなに重要なのかな?
自分の能力を最大限に引き出す事が目的じゃないんですか。
カタチとは、作るものではなく、結果として出来上がっていくもの。
自分が理想と思い描いただけのカタチを押し付けるのは、力攻めと何ら変わりません。
☆そのボール止まってるんですよね 2017/08/10
ゴルフをしない人は、さぞかし首を捻っている事と思います。
そう言われてしまうと、身も蓋も無いんですが。付け加えておくと、好きなタイミングで打っても良いんですよ(どや顔)
一見簡単そうな事が実は難しい、なんて事は世の常ですから、そういう事にしておいてくだしゃれ。
何故、かくも思い通りにならないのか。先ずはゴルフというものを分析してみましょうか。勿論、梅ちゃん流です。
「タメ」をつくれ、とよく聞きますが、実はこのタメの定義からして曖昧なんですが、たぶん、ダウンスイングの時にクラブヘッドが遅れて降りてきて、インパクトの直前でリリースする事によってヘッドを走らせる。って事かしらん。
いやチョット待て、普通に振れば、タメらしきものなんて勝手に出来ちゃうですにゃん。しかも、飛ばそうとすればする程。
この状態を一言であらわせば、
「インパクトはタイミング勝負」じゃー、恐れ入ったかー。
本来、一番大事なのは、
「インパクトでは、セットアップした時と近い状態に戻してあげる」事と、併せてインパクト前後のヘッドの軌道も重要なんです。
これも一言であらわせば、
「正しいインパクト」これに尽きます。
インパクトを目前にして急にリリースしようとしても、シャフトだって結構な長さがあるし、そんな簡単にはタイミングも合ってくれないですから、さすれば、今度は「左サイドに壁を作れ」要するに体にブレーキをかけて、それでヘッドを走らそうというか帳尻を合わせようとの算段ですよ。
そうは言っても、体を止めきれずに流れて、ヘッドを振り遅れている人が殆どだとお見受けします。
できない事も無いですけど、当たるも八卦当たらぬも八卦、の占いゴルフになってしまう訳です。
何の気負いもなく軽く振った時に妙に飛んだりするのも、ヘッドの遅れが少ない分タイミングが合いやすいだけですね。
タメと壁、略してTKB 48、こんな打ち方ができる人は、
天才、飛び抜けた練習量を積み重ねた人、如何なる事があっても自分のスイングを崩さない不動の心の持ち主。
まぁ、こんなところでしょう。
よって、練習量の少ない素人にはハードルが高い打ち方だと思います。
ただし、タメらしきものは勝手に出来てしまうもので、そんな場合には、必然的にTKBにせざるを得ないという事もあって、殆どの人がこれに当てはまるのかと思います。
TKBは、その昔アイアンの重心が高いものが多かった頃、おまけにスモールボールで地上にある時重心位置が低い、という二重苦だった頃には、こうでもしないと打球を上げられなかったのかなぁと思われますが、その名残りなんでしょうかね。そんな組み合わせでボールを打った事無いですからあくまでも想像ですが。
それにしても、ずいぶんと錆びついたようなお話ですね。
今は、チタン、カーボン、略してTCBの時代ですよ。
アイアンだって、TKBなんかしなくても普通に打球上げられるでござりまする。
タメを作れ、無視してます、どうせヘッドは遅れてくるんだから。
むしろ早めにリリースして、インパクトの準備を事前に済ませておいた方が、打球の安定度が高いし、何よりタイミング依存が少ない分、スイングの自由度も高いと思います。
特に非力な人は、なるべく大きなスイングアーク、略してBSA、を目指す事をお勧めします。
BSAも、そんなに簡単に覚えられるものでも無いですが、コツさえ掴んでしまえば、後は、スイングが崩れない範囲で強振できる様になるので、平均飛距離も伸びると思います。これが一番のシャンプー、、失礼、メリット。
BSAは、バリエーションも多ければ発見も多いですから、慣れてくれば、それを探しだす楽しみもあるってものです。
ただし、TKBとはスイングが根本的に違うので、TKBもどきでリリースだけ早くすると、目立った効果も無く骨折り損のくたびれ儲けになりかねませんから、これだけは忘れないでください。
TKBへの未練を綺麗さっぱり捨てて、発想を根本から変える事が重要です。
もっとも、大きなスイングアークを目指していれば、自然にTKBではなくなると思いますけどね。
男は黙ってTKB、失礼、男ばかりじゃ無かったですね。
ゴルフは黙ってTKB、という信念をお持ちの方はこの限りではありません。
もう一つ、スイング中に気をつけたい事。
インパクトの瞬間の写真、首に筋なんか立ってたりして、よくカレンダーなんかで見かけますが。
インパクトの瞬間のイメージは持たない方が良いと思いますね。
そのイメージによって、スイングをインパクトで終わらせてしまう可能性があって、尚且つ、ヘッドが振り遅れていると、実際にインパクトする前にスイングを止めてしまう事になりかねません。後はただの惰性。
あくまでも、インパクトの前後が重要なんです。
ちょっと不安なんですが、スイング中に固定したイメージを持たない方が結果としては良いんですが、これは人それぞれかもしれません。腕とクラブヘッドが通り過ぎていくのを、なんとなく見てるだけですね。
☆タメられるものなら 2017/08/22
そりゃあ貯めたいです、お か ね。誰が何と言おうと嫌いになれないですから、貯金。ストレスは溜めたくないですけどね。
どうせ出来ちゃうのに、わざわざタメをつくれ、などと言うのは、「タメをつくる」の語感に「貯める」と共通するものを無意識のうちに感じてしまうんでしょうか。いっっぱいタメれば、何か凄く良いことがありそうだ、とか。
タメ銀行でもあれば良いんですが、残念ながら直ぐに使いきらないと消えちゃうんですね。
また、その使い方がはるかに難しいときてるのに、こっちの方はうっかり忘れがちだったりするんですけど。
まあ、貯めるのも嫌いじゃないですから、ため繋がりで、少しだけ分析してみましょうか。
長所
・クラブヘッドを上から鋭角に入れやすい。バックスピンをいっぱいかけたければ良い方法かな。
・ショートアイアンぐらいまでなら打ちやすいですかね。ミドルは微妙かな。
短所
・前述の通り、インパクトのタイミングが難しい。ヘッドの振り遅れがおきやすい(特にシャフトが長いクラブ)
どっちつかず
・ヘッドが走って、ヘッドスピードが速くなりそう。物理的に未検証ですけど、たぶん錯覚ですね。
一時的に腕を減速してるので、相対的に速くなった、と感じてしまうだけだと思われます。
大きなスイングアークの場合とを、感覚的なもので比較しても意味は無いですから、本当に知りたければヘッドスピードを計測してみるのが一番です。必ずしも、全ての人が同じ結果になる訳では無いですからね。
ただし、インパクトのタイミングが合わないと無意味ですので、やっぱり、実際の打球で比較するしか無いと思いますが。
平均飛距離で比較しないと、占いゴルフになっても、まぁ、ねー。
タメも、その昔散々やったので、もうごちそうさまです。偶に不調になった時にあれやこれやしてみる時でも、まかり間違ってもやることはありません。左膝からイエローカード出ちゃうし。
自分でやらないのに分析できるのかー、と言われそうですが、ごもっとも、遠い昔の記憶です、はい。
因みに、アイアンは分類上、ロング(1・2・3)、ミドル(4・5・6)、ショート(7・8・9)ですよね。まぁご随意に。
親ページにアイアンの画像(ダンロップとミズノ)を載せてますが、あれはどちらも2鉄です。ダンロップの方は1鉄から揃ってます。もの好きでしょ?
☆民主主義 2017/08/24
とは名ばかりのムラ社会の集合体。
お江戸の時代だってそぉんなに遠い昔でも無いし、まぁ仕方ないですかね。そんなに急には変われませんですな。
日本は成熟社会だ。何をおっしゃってくださいます事やら、これだけ年がら年中すったもんだしてるのに。
貴方は、この社会に窮屈さを感じていますか?それとも、特に不自由も無く過ごせていますか?
もし、窮屈さや理不尽さを感じているなら、実力勝負のゴルフを始めましょう。
広く静かなコースで、青空に吸い込まれる様に飛んでいく打球の爽快感は、日常の喧騒を忘れさせてくれます。
グリーンに近づく程、繊細さも必要になっていきますが、狙い通りにカップに吸い込まれた時の喜びもひとしおです。
練習場で、他者の追随を許さぬ程の打球を打てたとしても、どや顔は心の中だけに留めておいた方が無難だと思います。
最初から思い通りにはならないものですが、生涯にわたって楽しめると思います。
もし、何の不自由も無く日常生活を送れているなら、それは重症です。感覚が麻痺してしまっているかもしれません。
今すぐゴルフを始めてください。そして、打ちのめされてください。
途轍もないビッグボール(地球)をザックリ打ってしまうのは当たり前。
やっとこさ、小さな球を打てる様になったとしても、飛んでいく先は球に聞いてくれー、別に無責任な人間になってしまった訳で無い事は、周りの人も分かっていますから、心配無用です。
なんとも思い通りにならない、現実の厳しさに目覚めることができるでしょう。
ゴルフ場は概ね本当のムラにありますが、ムラの良い面も感じてみてください。
そして、また窮屈ですったもんだな日常に戻らなければなりませんが、それは、この社会にまだ成長の余地があるという事です。
他国の真似だけではなく、日本らしく進化していけるという希望も残されてはいるんですから、そんなに悲観する事もありません。
あまり気分の良い理由でも無いですが、夢や希望を持てないよりは、まだましだとは思いませんか。ゴルフも社会も。
☆歴史小説に関する記事は引っ越しました 政権後退 2017/09/04
政治腐敗の防止策としてであれば、政権交替も結構だと思いますよ、他に適当な方法も見つかりそうにないですから。
そう思ってはいたが、なんだか昨今の諸外国での政権交替の例を見ていると、あまりにも政策転換が激しい様に感じる。
国家間の合意事項であっても、政権が交替したら身勝手に反故にしようとしてみたり、大きな政策転換も厭わずの様な思考というのも、その姿勢のあり方は、結局は権力を私していることと、何ら変わらないとしか言いようがない。
この状況は、腐敗と何が違うのだろうか。腐敗が起きるのは権力の私物化から、というか、私物化そのものだと思える。
権力を手中に収めたい側からすれば、自分達のやりたい様にやるのは当たり前なのかもしれないが、それによって振り回される国民のことなどは、眼中に無いのかと思えてしまう。
選挙によって付託を受けたとするなら、それは拡大解釈であり、ご都合主義である。
腐敗は不可であるが、交替という名の私物化は可、とするなら政治家の見識と資質を疑う。
近年の日本でも、野党からは政権交替というお題目ばかり先行して聞こえてくるが、政権交替のためなら理念の全く違う政党であってもお構いなし、という様な姿勢を見せつけられると、権力を手に入れる為に何でもするなら、権力を手に入れたら何をしでかすか分からない、と疑われても致し方あるまい。
少数派の意見を尊重しろ、と言っておきながら、政権を奪取したとたんにやりたい放題だったとしたら、何をかいわんやである。
政権交替さえすれば、無条件に理想の政治が叶うと思っているかの様な幻想に、いまだに憑りつかれているのだろうか。
二大政党制を目指すなら、もっと現実的な議論を厳密に先行させて欲しいものである。
政権が交替する度にちゃぶ台返しを繰り返していたら、それこそ、交替する毎に政治が後退してしまう様な予感が拭いきれない。
やがて、始めに政権交替ありきとなり、本来の目的を見失ってしまわないかと危惧される。
二大政党制であっても、長年続けば問題が出てくる筈である。他国の例を見ながら、事前に予見して対応策を施すべきである。
出たとこ勝負で、後から対症療法を繰り返すばかりでは、何とも情けない。
もっと、もっと、真摯に政治に向き合う姿勢を持ち、その姿を国民に見せない限り、安定した二大政党制は夢のまた夢で終わってしまうしかないであろう、としか言い様がない。
民主党が政権を取った時の失敗も、二大政党制の速成が成る、と勘違いしていたのかと想像する。
政権運営の初心者でありながらそんな妄想をしていたなら、ただ単に見遠しの甘さと、ひいては、真摯さの欠如を感じてしまうのである。
この日本では初めての事なのであるから、最低でも2〜3往復ぐらいは、初心者であることを肝に銘じて、ちゃぶ台の脚はボルトで固定しておくぐらいの、謙虚な姿勢で臨むのは当然の責務であると考えます。
摧杼も、政権の速成を狙い、粛清という究極の手段を選んだが、結局は破滅したのである。
手段の如何を問わず、速成などというものを狙うのは、賢い人間のする事とは思えないのである。
二大政党制という大枠だって、所詮は他国の物真似に過ぎない。その事自体を否定するものでも無いが、その中身については、もっと自問自答するべきである。
自問自答は ただ なんだじょ。自問自答ぐらいのことで公費を使っちゃ、駄目だじょ。
為政者は民衆を支配するが、死後民衆に支配される。
こう言われたのは、過去の事。今では、その職にある時からフルボッコにされかねない。
時代は少しずつではあっても変化しているんです。
ただし、フルボッコにする側も、何でもかんでも脊髄反射の如くに騒ぎ立てるのは、お里が知れてしまいます。
☆歴史小説に関する記事は引っ越しました 社稷の庶民 2017/09/05
右でもなく、左でもなく、ド真っ直ぐですよ、性格が(方向は???)、打球が(小自慢)、にゃんちって。
冗談はさておき、政治的な信条に、自慢できるほどの方向性なんかありませんのです。
今ある現実も、長ーい時を経てこうなってるんだから受け入れるしか無いし、かといって、現状維持というのにも抵抗はあるし、少しずつでも進化していければ、と思っています。
道理、が気になる悪癖を持っているみたいで、道理とか物理は、本来従うしか無いもの、と思うわけです。
まぁ、この世に道理なんかあったもんじゃ無い、これも厳しい現実なのかもしれませんけど。
ゴルフだって、基本は物理、そこに感性を足して完成。にゃんて。
物理という明快な答えがあるにも関わらず、棒っきれを振り回すと、これがまた、ありゃりゃ、って感じになってしまうんですが。
社会(政治)という、人々の思惑が複雑に入り混じる得体のしれないものなんかに、果たして正解があるのかさえも不明ですが、最後の判断基準は、道理、なのかと思うわけです。
で、明らかに道理から外れてる様なことがあると、それは違うでしょうーと思うのです。
社稷の庶民ですから、何の力も無いんですけどね。残念。
晏嬰さんでもいれば良いんですがねー。
ところで、晏嬰さんの自分の役職に対して徹底する姿勢というのも、アメリカ人ならどの様に評価するんでしょうか。
日本社会では、あまりにもド真っ直ぐすぎて浮きまくりそうです。
空気だの、顔色だの、問答無用で切り捨てられそうですからね。
好きな上司ランキングなら、結構良い線行きそうですけど。
☆無事之名馬、その御者も名人也 2017/10/03
競走馬にも怪我はつき物の様ですが、馬の僅かな異変に気付き、怪我を未然に防ぐ事ができれば、その御者(騎手、調教師)も名人と称されてもいいのかなと思います。なので、その御者も名人也、は梅ちゃんが勝ってにくっ付けたものです。
それは、企業にしろ個人の人生にしろ、終生順風満帆なんて事は殆ど無いんですが、逆風が吹き始めた時にこそ臨機応変な対応力が求められるのと同じですね。
ゴルフというスポーツも、長く楽しめる一方で、如何せん体への負荷バランスが偏ってるきらいがあって、長い間には多少の怪我も仕方ないところではあるんですが、異変を感じ始めたにも拘わらず、特に目立った対処もせずに致命的な怪我に発展してしまったら、それは如何なものかと思うんです。
タイガーも、膝と腰併せて8回手術していて、今も腰痛で苦しんでいるそうな、あれだけの結果に対する相応の代償なのかもしれませんけれども。
同じスイングをずっと繰り返していれば、ダメージが蓄積する場所も大体同じ筈で、体のケアも必要ですが、それも対症療法に過ぎないですから、根本治療を考えるならば、異変を感じたならスイングを大胆に変えてしまう方が賢明かと思います。
梅ちゃんも、幸か不幸か精神論的な根性なんか微塵もなくて、違和感を感じたら直ぐにスイング変えようとしますから、慣れる迄に時間はかかるんですが、なんとか続けていられるし、これぞ怪我の功名なのか、スイングの引き出しは多い方だと思っています。
とはいえ、スイング改造なんてものは、その間の結果は悪くなるし、本当に目的地に到達できるのか手探りだしで、言うは易く行うは難しです。
中でも、スイングを一つの完成形(トップはこう、インパクトがこうで、フィニッシュはこうみたいな)として覚えてしまった時には、難易度が高くなってしまうのかと思われるんですが如何なものなんでしょう。
やはり、基本をマスターしてから自分なりにアレンジした方が、後々アレンジし直す時に、比較的に容易かと思うんです。
最初からバリエーション豊富になんかできないですが、基本さえ押さえておけば後は自由、にしておけば、そのうちに不思議とバリエーションも増やせる様になっていたりします。
完成形として覚えてそれを熟成させる、という考え方もあるんでしょうが、人間の体は年齢とともにスペックダウンしていくのは避けられないので(他人事じゃ無いです、シミジミ)、怪我だけではなくそれも見越しておいた方が後々楽かなと思います。
その昔は出来ていたけど今は無理、っていうスイングが実際にあるんですよね。こちが・ぁ・・、うずくまりそう。
梅ちゃんも、まだまだ飛距離を諦めてないので、そりゃぁ工夫しないと大変でおじゃりますです、はい。
森の虎さんにも、体に負担の少ないスイングを、田舎の梅ちゃんが伝授してあげようかにゃ(でも、その時には費用が発生しちゃうしにゃあ)
ジャンボも、御年70歳でレギュラーツアーに拘り続けて来たのは驚愕です。近年の成績には忸怩たる想いがあるであろうことは想像に難くないですが、それでも、「無事之名人也」と尊称しても差し支えないと思っています。
一般的には「心・技・体」と言われていることも、随分と昔から「体・心・技」と言ってたから、体が資本であるその重要性を理解していて、実践して来たのかと思います。
皆さんも、「無事之名人也(素人)」を目指しましょうよね。突然目覚めてプロになるのは言わずもがなの自由です、はい。
☆どこでもドアァ 2017/11/03
ゴルフを始めた頃からずっと疑問に感じていて、実は今でもよく分からないのが、スイング中のクラブヘッドと手の位置の相関関係と、シャフトの向き。
トップの位置では、シャフトが飛球線と平行になり、ダウンスイングではシャフトの傾きがボールと手を結んだ延長線と一致する。こんな感じですかね。これは、ヘッドの軌道優先な話ですね。
クラブヘッドの軌道と手の軌道が同一面であれば、これで納得できるんですが、そもそも、セットアップの時から腕とシャフトには角度がついてるんだから、それぞれの軌道が同一面の筈が無い。となると、どこかで必ず軌道の分岐点が存在する筈なんだけど、さて、それはどこ?
普通であれば、リストタ亜阿ンの時に、上手くごにょごにょするしかないんですが、例のTKB(タメと壁)では、インパクトの直前にリストタ亜阿ンしなけりゃいけない訳で、手の軌道が内側に入ってくるしかないから、フォローではそのまま手の軌道変化に従ってヘッドの軌道も内側にズレる。だから、アイアンなんかはターフの跡が内側に入ってきますよね。
こんなリストタ亜阿ンは、フォローの抜けが悪いのが気になるんですが、みなさんは如何思いますか。
特に、ダウンスイングでちょっと大回りしてしまいがちな場合は、フォローで左腕が邪魔になって、肘が引けてしまったりして、いませんか。フォローで肘を曲げるなって言われても、そもそもそうなりやすいスイングなんですけどもね。
大事な大事なインパクトゾ御緒尾ンで、そんな不安定要素を抱えてるから、トップの形がどうした、ダウンスイングでこうした、そんな決め事でも作っておかないと、インパクトのタイミングも合わせ難い、というところでしょうか。
TKBあんど栗鼠とタ亜阿ンは、ヘッドの軌道から考えれば、基本的にはフェード系であり、かつ、アイアン向きだと思いますが、これで、ドローを打とうとするなら、物理の法則と相談しなければなりませんね。
インパクトゾ御緒尾ンでは、できるだけ急激な挙動変化を抑えた、しずかちゃんで振りたいんです。
要するに、インパクトゾ御緒尾ンではドアスイング(の表現で良いのかな)になるんですが、ドアスイングなど愚の骨頂(言い過ぎか)みたいな扱いされてますけど、ドアスイングって、そんなに悪いですかね。切り返しからでは無いです。
インパクトゾ御緒尾ンの「ゾか御」の時点では、なるべくセットアップと近い状態に戻して、後は腕を脱力してクラブヘッドにお任せしてあげれば、クラブだって良ぃい仕事しますよぉ。「ゾ」の前で結果はほぼ決まってしまいますけどね。
インパクトゾ御緒尾ンでは余計な事をせずにお任せなんだから、言うなれば、「自動ドアスイング」、自分でもうっとりする様な素直な打球になる、かもしれません。
ただし、インパクトゾ御緒尾ンの前で、ヘッドの軌道と手の軌道がどの辺から分かれていくのか、シャフトの向きがどうなっていれば良いのか、実は何となくしか分かってなくて、この辺に不安を感じる方もいるかもしれませんね。
そもそも、全行程に基準形が必要なのかさえまだ分かっていなくて、継続して研究中ですが、現時点ではインパクトゾ御緒尾ンで不安定動作が無ければ良し、としています。
こうなって欲しい、こうなっている筈だ、そう願いたいのは人情でもありますが、そうはいっても、慣性の法則は人間の感性など忖度してくれませんので、突拍子もない事を考えても無駄が多くなってしまうだけですよね。
物理といっても、「なるべくしてなる」、因果関係がはっきりしていれば良いだけの話で、結果なんて事前動作で決まってしまうのに、前後の因果関係に矛盾がある様な話を、殊更声を大にして言われても、魚意魚意(ぅをいぅをい、であって御意御意ではござりませぬ)開いた口が塞がらないのです、が、巷では堂々と独り歩きしている様な気がします。
何処かに「どこでもドアァスイング」でもあったら、そりゃもう、全ホールホールインワンも、夢が現実に・・・
前回の記事の後に、ジャンボがツアー二度目のエージシュートを達成しました。でも、本人はその程度では満足していない様です。
ゴルフにとって「72」という数字は特別な意味を持っているので、きっと72歳まで現役を続けてくれるものと期待しています。
☆餅玉、必要ですか? 2017/11/28
スライス系は、曲がりすぎだけ注意していれば、軽いフェードは梅にゃんでも打てる(曲げる事自体は難しくないから)
フック系は、意図的に曲げた上に曲げ幅のコントロールも必要だから、やる事が一つ多いのがドローの難しさだと思う(おまけに曲げる事自体も難しい)
ドローは、余分なバックスピンを抑制できる効果が飛距離に寄与しているだけで、スイングスピードをコントロールできる範囲内で、同じ振り具合で振った場合には、フェードよりドローの方が飛ぶというだけの話ですね。
パーシモンの頃は、ヘッドにシャキッとした芯があって、芯を外すとフェースが開閉してしまうけど、同時にギア効果が働くからドロー・フェードを打ち分けられた。裏を返すと、どっちにも曲がる可能性を持っていて計算し辛いから、どうせなら、何時でもどっちか一方に曲げていた方が球筋が安定した。要するに、クラブの構造上の特性を上手く利用したのが餅玉だったと記憶してます。
目標より右に打ち出して返してくる、綺麗なドローボール打ってる人もいましたね。
今時のクラブは芯がボヤっとしてるけど、反面、少しぐらい芯を外したところでそんなに曲がらない、というか、曲がらない様に進化してきているんだから、クラブの特性を上手く利用したければ、左右に曲げる餅玉って必要ですか?
ギア効果を上手く使えないとした上で打球を曲げるには、ヘッドの軌道ぐらいしか残ってないんですが、体を中心に円運動をしている以上、フック系に必須のインサイドアウトも実際にはかなり難しいものですよね(特に1Wは最下点の先でインパクト)、後は、手首こねこねとか?(フォローの時に、腕がゴムゴムのーみたいな便利な体質の人は除く)
右を向いてインサイドアウト、それはもはや、ただのフックなんですけど。
ところで、素朴な疑問として、ヘッドの軌道でドローが打てるぐらいなら、真っすぐも打てる筈なんですよね。だったら、餅玉は真っすぐにしとけば?と、思う訳です。
真っすぐを打てなくてもフェードは打てます。
真っすぐを打てないのにドローが打てる、そんな人いるんですか?(最初からドローを打つ練習だけしていたとか?)
餅玉としてなら、真っすぐかフェード(消極的な選択として)、が現実的だと思います。チタンの時代にドローなどというものは、パーシモン時代の何かを引きずってるだけの様な気がしますけど。
真っすぐなのにバックスピンがかかり過ぎる場合は、実はフェード系になってしまってるだけで、真っすぐでもバックスピンを減らす事は可能だと思います。
無理をして餅玉を持とうとする事の一番の弊害は、練習場でも偶にゾーンに入ってしまう様な時があって、「あっこれだっ」でも、後になってみると「それじゃない」、まぁそれも楽しみの一つですし、そんな事を何度も繰り返しているうちに、何んとなく覚えていくものだと思うんですが、球筋に特定の拘りがあると、せっかくの「あっこれだっ」が偏ったものになってしまいそうだと思うんですが、如何でしょうか。
極端な例を引くと、スライス防止のために、セットアップの時に極端にフェースを左に向けてる人を見かけるんですが、良いスイングをしてしまった時に打球がどフックになっちゃったら、何が良いのか分かりませんよね。それとあまり変わらない様に思えるんです。
因みに、梅にゃんは、パーシモンからステンレス(当時はメタルって呼んでた)に切り替わった頃にゴルフを始めてるので、最初に買ったウッドは、まさしくパーシモンだったけど、打ち分けるなんて事を覚える前に直ぐにステンレスにしています。最初の頃は酷いどスライスで、当時からあまりリストタ亜阿ンが好きじゃなかったからなのか、ずっとドローは苦手です(プッシュアウトか、ただのフックにしかならない)
梅にゃんの餅玉?は、ど真っつぐで、ミスした時には殆どがスライス、偶に変な事を考えた時にはフックです。
いやっ、ドローの方がかっこいいじゃん、みたいな確固たる信念でもあるならば、それも立派な理由だとは思います。
付け加えておくと、既に自由自在に球筋をコントロールできる人は、この限りではありません。
また、1Wの話ですので、アイアンもこの限りではありません。
☆○○始めました 2018/02/06
当たるも八卦当たらぬも八卦、占いって信用してますか?、なんだか非科学的で何となくその場のノリで、みたいな時にしか需要無かったんですが、よくよく考えてみれば、人というのも自分に都合の良い答えに引き寄せられる傾向があって、それなら、吉も出れば凶も出る占いの方がある意味で公正だな、と最近見方がちょっと変わりまして。
どれだけ文明が進化しても、未知のことに恐怖心を覚えるのは致し方ありませんが、恐怖を感じた時こそ、さらに見よう、さらに知ろう、さらに分かろうとすることが重要で、恐怖から逃げ出したいあまりにただ目を逸らして安心感を得ようとすると、逆に魅入られてしまうのかもしれません。
「そんな大きな津波なんか来る筈ないよ」そんなただの言い訳をして、自然の驚異から目を逸らした結果が、あの大事故を引き起こしたのは明白です。
占いで吉が出たなら大胆に行動しても良いでしょうが、凶が出た時こそ運は天に任せて、恐怖から目を逸らしている事は無いか我が身を振り返る時とすれば、結果に憂うこともなく心安らかに前に進めるかな、と3000年以上前の商民族からヒントを貰っちゃいました。
冷やし中華始めました。いつから飲食店に、失礼、ななにゃん占いを始めました。
凶に価値を見いだそうとするのも、一つの使い方かなと思います。ただし、占い師はななにゃんですけど。
魅入られてしまうといえば、例えば、ティーグランドから右に大きな池が目に入ったりすると、見ない様にしようとすればする程、行け池になっちゃったりするんです。これはもう笑いどころですよ。
池に鴨の群れが浮かんでるな、ぐらいのただの風景として見れる様にでもなれれば良いんですが。
それよりも、絶対右に行かないスイングを練習するのが先なことは言うまでもありません。
☆飯床鳥 2018/03/14
船頭多くしてゴルファー地球を、打つ。
ゴルフであれ、仕事であれ、何はともあれ整理・分類・体系化しておくのは基本ですよね。
プロであっても、そうじゃなくても、皆が其々思い思いのスイング理論を語るのは、まぁ7200ヤードぐらい譲って(元に戻っちゃうか)結構ですが、まだまだ体系化されていないなと感じるところが、ゴルフも基本が確立していないと思う所以でして。
自分はそれで上手くできている、としても、それが全てでは無いんだから、一つの理論にしかなり得ない訳で、自分はこのやり方で「出来た」としか言いようが無い。
スイングにも色々ありますから、其々の長所と短所を解きほぐして、整理・分類(分ける)が出来て初めて、スイングとは何ぞや、が「分かった」と言える様になるんだと思います。
そこまで拘る?とお思いの方もいるやもしれませぬが(梅にゃんもこんなところは緩く無いの)、大きな落とし穴が目の前に、だって、人ってついつい良いとこ取り始めるじゃないですか。
「こうすればもっと飛ぶ」なんて、脂ののった美味しそうな刺身を目の前に置かれたら、見境なく「にゃいーん」ってかぶりついちゃう、のは昔の梅にゃんだったけど、誰でも食指が動くでしょ?
あっちの良いとこ、こっちの良いとこ、上手くかき集めたわいシメシメ、なんて浮かれてるのは本人ばかりなりで、だいたいは「なんか良さそう」って主観だけで集めてれば、物理的な因果関係が崩れて結局は短所ばかりが顕在化してしまう、何とも、骨折り損のくたびれ儲けご苦労様です。と、なってしまうのがオチですね。これを一言で表せば、「とっ散らかる」ってやつですか。
ただ棒っ切れ振り回してるだけなのに、スイング理論もこれで結構話題豊富で、とはいえ、其れと此れとは両立出来ないでしょ?みたいな事、其処此処にある様に感じてます。
不肖梅にゃんも、ドヤ顔出来る程分かってるとは言えませぬが、できるだけ整理・分類しようとはしています(その前に、このページを整理しろやって?、思いつくまま気の向くまま、それを読み解くのも何かの役に立てば良いけれど、です。
そんなこんなで、自分ではTKBなんてやらないんですが、それを避けて通っていては分類にならないですからね、浅い知識を絞り出してTKBの事も書いています。
☆1999年 夏 2018/04/14
コンピューターの2000年問題、という人間様が勝手に妄想を膨らませ舞い踊った秋(とき)から、早や19年。
何ですかそれ?状態の初耳の方のためにかいつまんで説明すると、当時のパソコンは年号を下2桁「99」年で表示している事が多かったから、2000年は「00」年となって1900年と誤認されてしまう。という妄想が妄想を呼び・・・、後はご随意にどうぞ。
結論から入ると、コンピューターは2進数、人間様が慣れ親しんでいる10進数で考えても筋違い。
そもそも論として、コンピューターに人間様が勝手に定義しただけの「日時」を特定できる筈など無く、コンピューターにできる事といえば経過時間を計測するだけ、例えれば巨大な桁のキッチンタイマー。
ただのタイマーであっても、始点(開始日時:1900年1月1日 0時0分0秒)を定義しておけば、現在の日時を知るには事足りるというだけのものです。
よって、コンピューターの「99」年というのは、始点から99年経過した事を意味しているだけで、そこに始点の日時を足す事によって現在の日時としているだけで、1999年を直接特定している訳ではない。
99年の次は100年、1900を足せば2000年と認識できる。という事ですね。
当時、実験もしてみました。
1.日付けを2000年に設定して(それができた時点で問題無いと思われますが)、ダミーファイルを作成・保存してファイルのタイムスタンプを確認。結果は100年で予想通り(DOSモードで立ち上げて確認)
2.いくら桁数が巨大といえども上限があるのは当然で、それを越えた時には1900年にタイムスリップしてしまうんですが、それは何時か?コンピューターにとって切りのいい32ビットカウンターと仮定して、2の32乗秒で何年分ぐらい計測できるのか(計算してみてくださいね)上限値近辺に日付を進めて確認した結果、上限値を越えた時点で1900年に戻った。
これで、概ね間違いは無いと思われます。
ただし、経過年が2桁から3桁に変わった事により不具合が発生する事も想定できますが、それはソフトのバグの問題であって、カウンターオーバーフローの様に、同じシステムであれば全てのコンピューターで同じ現象が発生するのとは次元が違いますね。
これはパソコンに限らないので、古いシステムを使い続けると稀にオーバーフローするかもしれませんが、そこまで使い続けたならむしろ祝ってあげたいくらいです(現時点でもまだ余裕あります)
当時は、結構な大騒ぎだったんですが、特に大過無く2000年の幕が開いた後の綺麗さっぱり感。あの喉元を通り過ぎる前と後の落差には、ある種の驚きを感じたと同時に強く印象に残っています。
コンピューターに詳しい人の方が少ないですから、から騒ぎは致し方ないとしても、せめて何故問題が起きなかったのか、の考察ぐらいはしないのかな〜。どこかではしていたかも知れませんが、聞いた事無いですけどね(検索すれば見つかるかもしれません)
かくしてまた一つ虚言が生まれたのであった。
いつの時代であっても、ある事で大騒ぎになる場合は、その現象の原理が分かっていないからであって、例えば、太古の人々にとっては、日食などが起きようものなら恐れおののいたかと思われますが、現代であれば専用の眼鏡が店頭に並ぶのは周知の事実です。
世間で大騒ぎになっている様な現象は、本質を外した、通り過ぎてしまえば忘れ去られる虚言候補が殆どだ、と思ってしまいます。
現代では、虚言の撒かれ具合の速度も速くなっている様に感じますが、世間にだって許容量の上限があるんではないかと思います。過去の歴史を振り返ってみると、大乱を繰り返しているのも虚言が疑心暗鬼を生み、それが人々の心から溢れ出た時と関係があるか否か、は、勿論単なる想像です。
とはいえ、昨今テレビ離れが囁かれているのも、虚言をばら撒き過ぎて視聴者の許容量の上限に近付いているのかもしれませんね。
視聴率という自身の損得に自己忖度している、としか見えない。
因みに、最近のパソコンでは8900年ぐらいまで設定できるんですが、カウンターの上限値が中途半端でよく分かりません。仮説としては、カウンター値を大幅に増やして、余裕ができた分を秒以下の計測に使っているのかな?余裕あり過ぎてどうでも良いです。
そういえば、始点の日時も変わっているみたいです(1900年に設定できない)まぁ特定の日時(1900年)を始点としなければいけない理屈も無いですからね。設計し直したついでに切りの良い値をどこか他のところに設定したんでしょうかね。
☆上が先?、それとも下が先? 2018/05/07
ゴルフの場合、体のパーツ的には腕力が一番弱いにもかかわらず腕の運動量が一番多いですよね。バックスイングでも、肩は90度ぐらい、腕の方は体の柔らかい人であれば180度近く回せますからね。
スイング自体は下半身主導であるのは論を俟たないですが、とは言え、弱い腕に合わせてあげないと、そりゃぁバランスが悪いというか、振り遅れになるだけですよ。
スイングを分類するにも、どこに視点を置くかによって結果は変わってくるんですが、やはり腕から先に主眼点を置いた方が無難でしょう。
概念的には、腕から先が主、下半身は従。
実際のスイングでは、主従関係が逆転する。ちょっとややこしいですか?
ダウンスイング中クラブヘッドは遅れて降りて来るんですが、インパクトに合わせてヘッドをリリースするというのは、状態が変化するという事で、慣性の法則からしても、何もしてないのに勝手に状態変化が起きる事は無いんですね。
普通は、無意識の内に体が反応してる筈で、それを意識的にやれば左サイドの壁とかになるんですが、体も動いてる、クラブヘッドにも加速度がついている時に状態を変化させるのは、これはこれで大変で、下半身が重要な役目を負っています。ましてや、ヘッドをリリースするタイミングを変えるとなれば、一言で済ませられる程単純では無いですね。
重要なのは、下半身の動きは上半身(腕から先は最優先)に合わせてあげる事であって、下半身の動きはこうだ、という様に始めから決めつけてしまわない事です。
下半身の動きが同じなのに上半身は違う、というのもできない事は無いですが、それが可能ならばどんなスイングにでもなり得てしまう訳で、窮屈な事を無理してやっても安定性に難がありますから、スイングを変えたいなら、やはり下半身も変えた方が良いと思います。
下半身と上半身、更に腕からクラブヘッド迄、全て調和している事が理想ですが、そのためにも下半身が重要ですね。
自分が、どんな風にクラブを振りたいか(腕から先)をある程度決めてから、その動きが無理なく更に力強く出来る様な下半身の動かし方を模索していく、それらを微調整しながら繰り返していく、こんな感じは如何でしょうか。
浅く掘り下げると、ヘッドをリリースするタイミングと、体重移動のタイミングは調和させてあげる必要があるんですが、リリースのタイミングを早めるとこれが思いの外難題で、慣れる迄は相当苦労するかもしれません。タイミングが合う様になれば、飛距離が劇的に伸びちゃうかもぉ(にゃんこは深くは掘れにゃいの、にゃんにゃん)
TKBであれば、体重移動のタイミングの調和を壁で代用できてしまうので、その意味であれば分かりやすいですね(極端にタイミング外すのは無しですよ)。ただし、リリースとインパクトのタイミングが近いので、そっちがまた難題になってきて・・・、何だか泣きたくなってくる。
どっちを選ぶかは、好みの問題です。
因みに、梅にゃんは練習場でも下半身の事から考えます。上半身、特に腕は他に比べて器用なんで後からでも何とかなっちゃうんですね(ゴルフ歴もそこそこ長いし)、だから、引き出しが多いと言ってるのも下半身の使い方(体重移動も含めて)の事です。
☆スイング中、何を見ていますか? 2018/07/04
「高く高く青い空に白い軌跡を描いて飛んで行く打球、行き着いた所は300ヤード先」
それは、白昼夢を見てますね。
ゴルファーというのは、バックスイングの時とダウンスイングでは別人格が現れるものです。はてさて、どっちが本当の自分でしょう?怖いですねぇー。
まぁ、冗談はさておき、スイング中はボールを見ていたいんですが、そうはいっても行き先が気になって、ついついヘッドアップしていませんか。そんな悩みを抱えているなら、こんな方法は如何でしょうか(たまには具体論もちょろちょろと)
ゴルフは、止まっているボールを打つから反射神経が使えなくて難しいと言われていますが、果敢にも反射神経を使おうという訳ですが、打つための反射神経ではないんですけどもね。
止まっているボールを意識しすぎるとスイングが固くなってくるから、ボールの辺りを漠然と見る様にしてるんですが、それより、インパクト直後の「飛び出して行くボール」を見るように意識していれば、反射神経が反応してくれるからヘッドアップ対策になる、という話ですが、さて、がっつりどっぷりヘッドアップしてしまっている場合は、また別の原因を見直してから、って話でもあります。
飛び出して行く瞬間さえ集中して見届けられれば、それからボールの行方を目で追いかけても問題ないと思いますけど、ただ、体を起こさない様にしてくださいね。首は回しても良いですけど、あっその首が、ぁっ(それは人生色々ということで)
慣れてくると、アプローチなんかであれば、打球を飛び出しから着地迄目で追える様になるし、練習場のボールでたまにあるハチマキボールなら、ボールがクルクルリンッと回転しながら飛んで行くのも見える様になります。不思議と距離感を合わせやすかったりもするんですが、打球の軌道を全行程憶えられるからかなぁ?
ドライバーでは一瞬しか見れないですが、これも慣れれば一瞬だけでも打球の方向性がなんとなく分かる様になります。その後であれば、自分の打球にウットリするのもこれぞゴルフの醍醐味ですから。打った後もボールのあった辺りを見続けろと言うのも(いつまで見てれば良いのやら)そりゃあ無粋ってもんでしょ。
因みに、これが見れれば、腕とクラブヘッドがインパクトゾーンを通り過ぎて行くのも、何となく見える筈だと思いますけど。
まずは、アプローチから試してみると、これでなかなか面白いもんです。