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ドライバー研究室 歴史小説は小説よりも奇なり 日本編

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」上巻

史実、中でも激しい利害のぶつかり合いを基に描かれている歴史小説は、凡人には想像も及ばない世界へと誘ってくれます。
そんな物語ならばこそ、時に勇気や感動を分けてくれ、諭され、教えられ、導いてもくれる、宝物の様な場面を記録しておきたい。
凡庸な筆者の宝箱です。

沈黙する資料から生き生きとした世界を現出させる、作家氏の熱意と力量に敬意を表して、原作の格調を損なうことの無きよう務めていますが、不慣れなことゆえ違和感を感ずるかもしれません、ご容赦ください。


明治維新は完結しておらず。
たしかに、徳川封建社会から現在の民主主義へと制度は大きく変わった。しかし、人間の本質はそんなに簡単に変われるものでもないし、ましてや明治維新から百五十年程度しか経っていないのである。民主主義の熟成はまだまだ道半ばであると思う。
明治維新によって変革の基礎は先人が築いてくれた、しかしその仕上げは後世の責務であるし、それこそが非業に斃れた志士達への供養になるんだと思います。

歴史とは、連綿と続くあざなえる紐の様なものであり、ある一点だけを取り上げても意味は無い。過去の一点だけをみるのが無駄な事と同様に、現在も歴史の中にあるものだから、現在を考える時にも過去を同時にみることが肝要と思う。
温故知新、まずは歴史が大きく変わった幕末当時を知る事が必要であると思う。何が変わり何が変わらず、我々は何を手に入れ、そして何を失ってしまったのか。
この頁では、幕末騒乱を収めるに重要な役割を果たした、坂本竜馬という青年が歩んだ道を辿りながら、革命に奔走した志士達の思いに触れる事により、世界に類を見ない平和革命を成しえた明治維新というものを知ると同時に、何を変えて何を遺して行くのか、これから我々が進む道についても考えたいと思う。

尚、古きを知ることが趣旨の一つとなっているため長くなってしまっています。特に、薩長同盟、大政奉還については流れを追っています。予めご承知おき下さい。できるかぎり要点だけに絞っているつもりですが、不都合を感じる方につきましては、この頁は飛び越してしまってください。

文中、登場人物の敬称は省略します。


☆乱臣賊子 2018/06/27

 この時代の「学問」というのは、こんにちの学問、つまり、人文科学とか自然科学とかいったものと、言葉の内容がちがう。哲学、という意味である。というより、倫理、宗教にちかい。要するに、儒教である。教養の中心は、人間の道の探究と、それをまもることにあるのだ。孔子を教祖とし、それに中国、日本の先哲がのこした名言を学ぶ。学ぶだけでなく、踏みおこなう。
 囲碁、将棋でいえば、定石である。これを絶対のものとして学び、それから踏みはずせば「乱臣賊子」であり、「時にしては間違ふこともござ候へば」となる。だから、この時代の学問とは倫理道徳、みなおなじ型の人間をつくるのが、最高の理想である。「乱臣賊子」ができれば、封建体制はくずれてしまうのだ。幕府、諸藩が、その藩士にやっきになって「学問」をすすめたのは、その理由からである。

 途中省略

「やはり歴史を読め」
 といった。武市の説では、歴史こそ教養の基礎だというのである。歴史は人間の智恵と無智の集積であり、それを煮つめて醗酵させれば、すばらしい美酒が得られる、と武市はいうのだ。

 途中省略

「おれは剣術だけは師匠についたが、学問は、べつに学者になろうとは思わんから、師匠はいらん」
「こいつ、学問のこわさを知らぬな」
「知ってたまるか」
 わっ、と笑った。
「知れば、小心翼々たる腐れ儒者ができるじゃろ」

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

乱臣賊子 2019/01/12

人間は無智だから強欲なのか、強欲さゆえ悪知恵と引き換えに智恵を失ってしまうのか。
何れにしても、無智と強欲さには深いつながりがあるんだろうと思っていますが、かといって、世の中の全ての人が無欲であったなら、人類はとうの昔に滅び去っている様にも思えるし、人間は、「欲」と上手く付き合って行かざるをえない宿命にあるのかもしれません。
底の抜けた様な強欲さは論外であるが、それには何れ天罰が下る。と信じたいところです。
悪知恵に長けた小悪人は、どうぞ高きところにお登り下さい。天罰の心配をする前に梯子の踏み外しにご注意あれ。

筆者は無宗教者であるゆえに、個別の宗教そのものに言及することは控えますが、この時代、統治に儒教を利用してしまっている事が、大いに考えさせられるところではあります。

人生は無明長夜を行くが如し、一筋の光を宗教に求めるのは個人の自由ですが、統治に好都合であるという理由によって、特定の宗教を広めようと図ったことには、無智な愚かさを感じずにはいられない。当初はそれでも良かったんでしょう、時代的にはそうせざるをえなかったのかもしれません。しかし、それでもやがては道に迷ってしまうものです。その時は、集団迷走になってしまうのではないか、とは誰も考えなかったのだろうか。もっとも、後から結果を見ているから言えることですが。

「倫理道徳みなおなじ」この思想は、現在でも色濃く残ってしまっていますが、平成も終わりを告げようとしている今日に至れば、この思想の出発点が何であったのか、あらためて考え直す時期に来ていると思う。
とはいえ、「みなおなじ」を全否定するつもりも無く、それをしてしまうと「みなおなじ」の単なる裏返しになってしまうだけのことで、誰でもできることは智恵とは申せません。絶妙な匙加減、を目指したいところです。

「こいつ、学問のこわさを知らぬな」
「知ってたまるか、・・・・・・」
自分で道を切り開く型か、その後をついて行く型なのか、これで分かるというものでしょう。


☆薪ざっぽう 2018/08/06

「重大なことだ。賛成してくれるか」
「ああ、するとも」
「簡単だなあ。事は人の一命にかかわることだぜ」
「それァそうだろう。武士が重大なこと、というのは、みな生命にかかわったことだ。わしの命をとる、ちゅうのかね」
「それでも賛成するか」
「わしは何にでも賛成する男だよ」
「あっははは」
 重太郎もばかばかしくなった。
「竜さんにはかなわない。何にでも賛成して何にでも命を投げだしてしまうのか」
「ああ、どんどん投げだしてしまう」
「いや、おどろいた。風呂桶の焚き口へむけて薪ざっぽうでもほうりこむようないい方だな。しかし竜さん、薪は薪屋に行けば何束でもあるが、命は一つしかないんだぜ」
「一つしかないからどんどん投げこむんだ。一つしかないとおもって尼さんが壺金でも抱いているように大事にしていたところで、人生の大事は成るか」
「言うねえ」
 重太郎は竜馬から杯をかえしてもらった。
「しかし、竜さん、あんたの命の話だぜ」
「そうさ、他人の命は他人様それぞれの料簡で始末すればいいが、おれの命はおれの一存で成敗できる」

 途中省略

「乙女姉さんのことですか。私は乙女姉さんに育てられたんだが、あのひとは気のつよい女人でしてね。――人の命は事を成すためにある、といった。また、死を怖れては大事は成せぬ、牛裂きに逢うて死するも磔にあうもまたは席上にて楽しく死するも、その死するにおいては異ることなし、されば武士は英大なることを思うべし、と申しました。――いや、女だてらにあらっぽいことを弟に教えたもんだ」

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

薪ざっぽう 2019/01/14

乙女姉さんの教育の賜物ですな。ここまであっさりとした心境を見せられれば、爽快感さえ覚える。
しかも言葉だけではなく、仇討ちの助太刀を頼まれれば引き受けるし、勝の押しかけ用心棒をしたりと、命の危ないことも日常茶飯事の如くにやっている、これほど自由自在な生き方をされれば惚れずにはいられないですよ。

もう少し骨のある奴だと思っていたが、気づけば壺金を大事に温めている様な腰抜けだったな、自分。


☆危険人物 2018/08/06

 勝は、直言家で、上司の無能を憎むところが異常につよかった。だけでなく、皮肉屋で舌は人一倍まわったから、上役から好かれない。
 たとえば、咸臨丸で米国から帰ってきたころのことだ。
 万延元年五月五日、浦賀に帰航し、翌々日、木村摂津守とともに将軍家茂に拝謁した。
 かたわらから老中の一人が、
「勝、そちは一種の眼光をそなえた人物であるから、さだめし夷国に渡って、とくべつに眼をつけたところがあろう。それを詳かに言上せよ」
 といった。

 途中省略

「すこし眼のつきましたのは、アメリカでは政府でも民間でも、およそ人の上に立つ者はみなその地位相応に利口でございます。この点ばかりは、まったくわが国と反対のように思いまする」
 門閥主義の徳川体制ではもはや国家はたもてぬ、という意味が言外にある。
 が、老中は、将軍の前で自分たちを愚弄した、とみた。
「ひかえろっ」
 とどなった。
 勝は、渡米によって、幕府より日本国を第一に考えるようになった。当時の幕臣としては、危険思想といっていい。

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

危険人物 2019/01/15

慧眼の持ち主である勝大先生(竜馬は大先生と呼んでいる、筆者も同じく)が幕府に居なかったならば日本はどうなっていたのか、想像すると空恐ろしさを感じてしまう。明治維新を陰で操った大功労者だと思っているんですが、どうなんでしょう。

門閥主義、平たく言えば「小悪人同盟主義」、何ぶん人物そのものは小っちゃい人間だから、似た者同士で徒党を組みたがる。
小悪人も、一人や二人ぐらいなら面倒な奴で済むが、これが束ともなると得体の知れない大悪党へとなり下がる。
いつも権能の正体を隠し、のらりくらりと姿を眩まし責任から逃れることばかり考えている。一人だけを見ているとただの小悪人に過ぎず、然程目立たないから尚更始末に悪い。
人材登用の面でも問題があるし、さらに怖いのは、まるで生活習慣病がじわりじわりと健康を蝕んでいく様に、気づいた時には既に手・・・。

上記は、徳川体制下のことを想像で書いたつもりであるが、現在でも、その辺を歩いてみればそちこちでつき当たりそうで怖い。
派罰、財罰、学罰、等々、罰が付くのは大体は同じ穴の狢と言っていい。何やら罰々だらけで、最初からペナルティーを背負わされているようで気持ちも萎えてしまう。(何やら誤植がありましたかな、これは失礼。適当に読み替えていただきますれば有り難く存じます)

この、権能の正体隠し芸は驚くべき進化を遂げている。責任の所在があやふやな場合は気を付けたい。
一例をあげれば、どこでも見かける「みんな××」、殆ど常套句となっているが、ついひるんでしまう心理の裏を突いて悪用している場合がある。果たして、そのふわふわぁっとした案件の責任の所在は何処。


☆竜馬の道 2018/08/06

 この時期。――
 竜馬の人生への基礎は確立した。勝に会ったことが、竜馬の、竜馬としての生涯の階段を、一段だけ、踏みあがらせた。
(人の一生には、命題があるべきものだ。おれはどうやらおれの命題のなかへ、一あしだけ踏み入れたらしい)

 途中省略

  世の中の
    人は何とも云はばいへ
  わがなすことは
    われのみぞ知る

 途中省略

(世上、ひとしく攘夷を叫び、勤王を喚ぶも、みな空論にすぎぬ。おれがその群れにこそこそ入りこんでおなじ踊りをおどり、おなじ唄をうたっても、なんの足しにもならぬ。いまは迂遠の道を通るが、やがてみろ、日本をおれが一変させてみせてくれるぞ)
 やっと、自分の、自分だけの人生がひらけてきたような気がする。

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

竜馬の道 2019/01/17

これに筆者が論評を被せても邪魔なだけと思いますが、何か感じる方もいらっしゃるでしょうから、とりあえず置いておきます。


☆秘めたる気魄 2018/08/06

「人の一生というのは、たかが五十年そこそこである。いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だからこれを計算に入れてはいけない」

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

秘めたる気魄 2019/01/17

「官僚主導から政治主導、いったん志を抱き旗を掲げたなら、その実現に向かって行動し、決して官僚に丸め込まれてはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で倒れるべきだ。何度倒れても良い。命まで奪われることではない」

竜馬居士が、草葉の陰から嘆いているか、はたまた見切りをつけてしまわれたか、は知りません。


☆不幸な智者 2018/08/07

 要するに、弾圧の元兇は、老公の山内容堂なのである。
 竜馬はこの大殿様を、けっして好意ある眼ではみていない。

 途中省略

 激動期には、時代がどう動くか、一寸さきもわからない。
 そういうときの藩の指導者は、満身創痍になるのもいとわず、刃をふりかざし、面もふらずに先頭にたって時勢を切りひらいてゆく織田信長型か、それともいっそのこと思いきって流されっぱなしになってゆくか、どちらかしか道のないものだ。
 ところが、市井の隠士なら知らず、一藩の指導者でありながら、流れを白眼視し、流れにさからい、役にもたたぬ自分の「定見」に必死にしがみついている者は、しょせんは敗北しかない。
(あの方の厄介なことは、自分の才能、度胸にうぬぼれきっているところだ)
 と竜馬はおもっている。
 だから、カサブタのはった「定見」がひどく自慢なのである。家来はおろか、他の大名が馬鹿にみえて仕方がない。
(わずかに他人よりすぐれているというだけの智恵や知識が、この時勢になにになるか。そういう頼りにならぬものにうぬぼれるだけで、それだけで歴然たる敗北者だ)

 途中省略

 いかに一世を蓋うほどの才智があろうとも、とらわれた人間は愚物でしかない、とみている。
 智者容堂は、英雄の風ぼうをもっている。
 しかし不幸にも、自分の智にとらわれている。
 家系にとらわれていた。
 先祖の山内一豊が、関ヶ原の功により掛川六万石から一躍土佐一国二十四万石の大大名にとりたてられたのは、いつに徳川家の恩であるという感傷主義があった。
(個人なら、それは美徳だ)
 と、竜馬はみる。
(しかし大藩の主人が、一国の運命、日本の帰趨を考えるとき、それが何になるか)
 容堂は、そういう「美徳」にとらわれていた。そういう美徳をもつ自分に、自分で感動していたし、すべてその美徳をとおして時勢をみようとしていた。
 だから、容堂の眼にうつる時勢の映像はすべていびつな形をしており、すなおな映像ではない。
 容堂という人物は、みずから勤王主義を唱えているだけに、家中の勤王主義者がきらいであった。「自分の勤王は聡明な智恵から出ているが、かれらのは無智な狂信にすぎない。だからゆるせない。なぜといえば勤王は劇薬にひとしく、サジ加減によっては良薬になるが、量をあやまればいまの社会秩序が崩れ去ってしまう」
 不幸な智者であった。

 容堂は、浪士ぎらいでもある。
 京都にむらがり、公卿屋敷に出入りし、雄藩の藩士を煽動するかれらの存在を、幕府のように害ありとはみなかったが、無用のものとおもっていた。

 途中省略

 ところが、最近の流行は、大藩の京都周旋方(藩の京都駐在外交官)というものの存在とその異常な活動ぶりである。これが勝手に藩の方針をきめ、藩を思わざる方向にひっぱっている、・・・・・・とみていた。

 途中省略

 容堂は入京するなり、
「他藩との交際など、無用である」
 として、かれらを国もとに帰した。

 途中省略

 それだけではない。
 平井、間崎、弘瀬健太の三人が、東洋の死後、国許の人事を勤王色に変えるために、青蓮院宮(中川宮)の令旨をもらい、その令旨をタテにとって藩の上層部をおどし、政変を実現させた、というゆゆしい事実がある。
 老公はその罪をあらためて問題にし、五月この三人を下獄せしめ、六月八日、切腹を命じた。

 途中省略

 竜馬という男は、武市の親友でありながら、武市の党とはつねに別流をなしてきた。
 意見の相違もある。
 気質の相違もある。
 ――あぎ(あご。武市の異名)は固いことばァ、言いよるキニ。
 と竜馬はつねづね笑っていた。「かたいこと」というのは、一つはこちこちの攘夷主義、一つは、一藩勤王というやつである。
 ――そんなこと、出来るか。
 竜馬は、気質的に現実をわすれられないたちであった。武市半平太は強烈な観念主義者である。
 結局、竜馬は早くから藩内での勤王活動に見きりをつけ、藩外にとび出し、土佐藩などを眼中におかなくなった。

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

不幸な智者 2019/01/18

武市勤王党は、老公山内容堂の鶴の一声で瓦解してしまう。
果たして、武市半平太という人は、革命の先頭に立つに向いている人物だったのだろうか。

反体制を叫びながら、その実、その体制に首まで浸かっていたら、それをひっくり返す事などできるのか。例えて言えば、これからひっくり返そうとしているちゃぶ台の上に、自分自身が乗っていたらどうやってひっくり返すのだ。
仮に革命らしき事ができたとしても、その後にできたものが、以前と構造が大して変わっていなかったら、ただの権力闘争と同じになってしまう。結局は、ちゃぶ台の上の配置換えや改築の様なちょっとした改革に終わってしまうが、ちゃぶ台の上に乗ってる人間には、それに気づけないのではないか、と思える。

半平太の真意までは不明ですが、幕藩体制の中で生きてきて、その意識の中から抜け出せていないまま、「武市の天皇好き」と言われたその観念のみで行動していた様に思える。結果、容堂と同じちゃぶ台の上同士に過ぎず、権力の強い側にいとも簡単に潰されてしまった。ここが、外に飛び出してしまう竜馬との決定的な違いであって、向き、不向きの問題であったのかと思う。
やはり、重要な事は視点に尽きるんだろうと思う。視点が同じなら、発想も殆ど似た様なものにしかならない。
もっとも、この時代にあっては、竜馬が飛び抜けて異質だっただけであって、武市の方が一般的な思想ですが、されど、半平太も負けてはいない、飛び抜けてこちこちだったんですね。

現代でも全く変わりませんな。企業の改革などでも、ちょっとした改革ならば内情を知る人の方が効果は出るんだろうが、大改革ともなれば、やはり外からの視点に頼らなければ成功しないでしょう。

政治の世界では如何なんでしょう。野党と言えども、政治家として見れば別のちゃぶ台と言えるだろうか。
国内的な大改革の必要性の有無は置いとくとして、それでも、国際情勢が混迷の様相を呈してきている昨今、果たして、同じ様なちゃぶ台政治家だけで舵取りは大丈夫なのか。己の定見に捉われていないだろうか。外からの監視が必要な事は言うまでも無いが、外からの視点(国民の意見)に耳を傾けられ、かつ流されない政治家を送り出さなければならないですが、相当なナンダイかな。外の意見には耳を貸さないが、なぜか左右されてしまう人は特別でもなさそうですが。

容堂の人物像にも触れたいところですが、この先も登場しますのでもう少し待つことにしましょう。


☆明治維新の明暗 2018/08/08

 幕末における長州藩の暴走というのは、一藩発狂したかとおもわれるほどのもので、よくいえば壮烈、わるくいえば無謀というほかない。
 国内的な、または国際的な諸条件が、万に一つの僥倖をもたらし、いうなればこの長州藩の暴走がいわばダイナマイトになって徳川体制の厚い壁をやぶる結果になり、明治維新に行きついた。
 たしかに行きついた。
 しかし、行きついた、としか言いようがないのである。
 以下、竜馬とお田鶴さまの会話の背景をのべるために、長州藩が捲きおこしている「暴走」に触れねばならない。触れる前におもうのは、日本史のふしぎさである。
 当時の長州藩は、正気で文明世界と決戦しうると考えていた。攘夷戦争という気分はもうこの藩にあっては宗教戦争といっていいようなもので、勝敗、利害の判断をこえていた。長州藩過激分子の状態は、フライパンにのせられた生きたアヒルに似ている。いたずらに狂躁している。
 この狂躁は、当然、列強の日本侵略の口実になりうるもので、かれらはやろうと思えばやれたであろう。
 が、列強間での相互牽制と、列国それぞれが日本と戦争できない国内事情にあったことが、さいわいした。
 さらにいえば、当時のアジア諸国とはちがった、この長州藩の攘夷活動のすさまじさが欧米人をして、日本との戦争の前途に荷厄介さを感じさせた、ということはいえる。
 ・・・・・・海戦、海陸戦では勝てても、もし内陸戦になった場合、サムライのゲリラ活動には手を焼くであろう。
 とおもったのだ。
 しかも地理的には、極東の島国である。万里の波濤をこえて日本まで兵員、弾薬、食糧の補給をしなければならない。
 当時の船は、いかに蒸気船といっても石炭を焚くだけでは二十日の航海能力しかもたなかった。あとは帆走である。大規模な補給活動ができるはずがない。
 だから、列強は手びかえた。
 いまひとつは、これはこの物語のずっとあとでのべねばならないが、高杉晋作ら長州藩指導者の、天才としかいいようのない利口さが、この危険を救った。
 いずれにせよ、長州藩は幕末における現状打破のダイナマイトであった。
 この暴走は偶然右の理由で拾いものの成功をしたが、
 ――これでいける。
 という無智な自信をその後の日本人の子孫にあたえた。とくに長州藩がその基礎をつくった陸軍軍閥にその考え方が、濃厚に遺伝した。
 昭和初期の陸軍軍人は、この暴走型の幕末志士を気取り、テロをおこし、内政、外交を壟断し、ついには大東亜戦争をひきおこした。かれらは長州藩の暴走による成功が、万に一つの僥倖であったことを見ぬくほどの智恵をもたなかった。
 さて、ここしばらく、馬関海峡でこなわれた海陸戦について触れてみよう。

 途中省略

 さらに長州藩を極度に緊張させたのは、六月五日、フランス艦隊と戦って敗北した陸軍の敗報である。
 これは藩庁を狼狽させた。
「陸戦ならば」
 と思っていたのだ。
 日本じゅうの武士がそうおもっていた。刀槍をとって戦えば、日本武士にかなう者はいない、と。
 もっとも、日本人だけでなく、外国人も、武器、戦法の進歩を度外視して裸か身で戦えば日本人にとてもかなわない、という畏怖感を大なり小なりもっていた。当時、欧米の新聞でしきりとつかわれた日本語は、サムライ、ローニン、という言葉である。刀をあやつること精妙で、しかも剽勇敢死、外国人とみれば狂人のごとく襲いかかる、というのがその定義であった。
 攘夷
 攘夷志士
 というのが、日本史の眼からみてはたして無意味なことだったかどうか。
 無意味ではなかったろう。
 外国人はかれらを現実以上に恐怖した。これが本国の外交方針に影響をあたえないはずがない。現に、東海道生麦村で薩摩藩士のために自国の商人を斬られた英国政府は、あくまでも幕府に強硬な賠償要求をするとともに、一方、これが日英戦争の発火点になることだけは避けた。内陸戦争ともなれば、中国のばあいとちがい、こういう無数のサムライと戦わねばならぬことを、まず第一に物憂く思ったのである。
 いわゆる攘夷活動が、外国人を殺傷したり、長州藩のように旧式軍隊で列強の海軍と戦うというのはそれ自体は無意味だが、外国政府に対して、日本人が他のアジア人とちがい異常な緊張力をもっていることだけは十分に示現した。これが、英国の歴史学者トインビーのいう「日本は、トルコ以東において西洋人に侵略されなかった唯一の国である」といういい結果にも、多少の力があったことはたしかである。
 しかし、長州藩は愚劣ではない。
 六月五日の敗戦の瞬間、いままで考えていた攘夷の内容が、まったく無智からきたものであることにすぐ気づいた。
 翌日、山口の藩庁に、維新回天史上の天才高杉晋作をよび、すぐ起用している。
 高杉は、すぐ「奇兵隊」の構想を言上し、即座に裁可されるや、下関(馬関)にとび、ここで士農工商の階級を撤廃した志願兵軍隊を創設している。

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

明治維新の明暗 2019/01/20

日本武士と言えども、玉石混交になってしまうのは致し方ないとしても、明治維新によって、石ころ武士が野に放たれてしまったのが、その後、まことにややこしい事態になってしまったのではないか、と思うんですが、如何でしょう。

それまで特権階級を謳歌していたのに、そんなに簡単にお行儀の良い平民になれるのか?俄かには信じられない。
例え、一時的に平静を装っていたとしても、鬱勃としたものが燻っていたら、何かのきっかけでむくむくっと頭をもたげてきて火が着いても不思議ではないし、そんな種火は簡単には消えないものですよ。もっとも、終生尊大だっただけのお大尽石の方が多そうだけどね。それまでは、お殿様という重しがあったがその重しが取れて、逆に、羽を伸ばした石輩だって居るかもしれない。
過ぎ去った特権を懐かしむだけの石ころに智恵がある筈がない。智恵があるなら、もとより玉に分類されているんだから。自分はただの石ころだと気付いているならまだしも、ただこの場合は、石なのか玉なのか、何やら変な問答に入ってしまう。

正直に言えば、やはり、革命には流血(石ころ退治)が伴わなければ駄目なのかなとも思うんですが、当時の国際情勢を考えれば、今更嘆いてもただの愚痴でしかないし、対岸から先人に血を流せと言うに等しく、これも無智な愚か者の誹りは免れず、そんな滅相も無い事は言えません。

兎に角、一つの成功をまるで神格化して崇め奉ってしまうのは、無智と言わざるをえないでしょう。如何せん、台風でさえ神格化してしまったくらいだから。神格化症候群、道を誤ってしまう遠因になると思うんですが、現代でも根強いと見えますけど。
これは、武士の教養に宗教色が濃かった事も関係しているのかもしれません。

天、神、宗教、これらこそ諸刃の剣で、匙加減一つで劇薬になりかねない。人間如きが弄んでいいものでは無いでしょう。神仏との付き合い方は、仕えるしか道は無い。と、無宗教者が独り言を語ってます。触らぬ神に祟りなし、ですからね。

長州藩士・攘夷志士の狂躁、神格化症候群というのも、本をただせば早く安心したいという心配性の裏返しなんでしょう。
心配で心配で心配のあまり心配疲れから解放されたくて、いっそ不安な事そのものが無かったのだ、と突如安全神話へと姿を変えてしまうかの様に。
何か、人の手に負えない得体の知れない不安には、神がかりという得体のしれないものの方が馴染みやすいんでしょうね。

筆者も、不安という心理を持ち出されると二の句も無いんですが、少しずつ克服して行くしか無いですよね。
世の中は不思議なもので、恐怖心とは心が捉われてしまっている状態なので、見ていないふりをしても、何故か引き寄せられる様にその方角に進んでしまうものです。程々に怖がるくらいにして、後は、定期的な日時に徹底検証するとか。もっとも、「○○の日」の様におざなりな対応になって行くんでしょうけどね。

不安な時こそ冷静に判断しなければならないし、ならなかったと思うのです。
容堂の思想も、一端は理解できるんですよね。


☆男であることの美学 2018/08/10

 武士の虚栄は、その最期にある。
 切腹のことだ。どうみごとに腹を切るかが、
 ――おれはこんな男だ。
 と自分を語るもっとも雄弁な表現方法であるとされた。
 だから武士の家では、男の子が元服する前に、入念に切腹の作法を教える。
 筆者は、日本人に死を軽んずる伝統があったというのではなく、人間の最も克服困難とされる死への恐怖を、それをおさえつけて自在にすることによって精神の緊張と美と真の自由を生みだそうとしたものだと思う。その意味で切腹は単にそのあらわれにすぎないが、その背後には世界の文化史のなかで屹立しているこの国の特異な精神文化がある。その是非を論ずるのではない。ある、ということを知るだけでよい。
 もっとも武士の切腹が「美」にまで高まり、かつその例がもっとも多かったのは戦国時代と幕末であって、徳川中期の泰平の世にはうとんぜられた。

 途中省略

 が、戦国、幕末といったように時代がたぎり、緊張してくると、男というのは自分が男であることの美を表現(あらわ)そうとする。この時代数えきれぬほどの武士が切腹したが、ことごとくみごとであった。

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

男であることの美学 2019/01/22

著者である司馬先生の仰るとおり、知ることも必要かと思います。

「死への恐怖をおさえつけて自在にすることによって、真の自由を生みだすこと」、が竜馬には生きながらできた。
武士の精神文化によるものだと思いますが、竜馬の場合、形式美とは無縁のようです。
ただし、子供の頃から人知れず自己鍛錬を続けていた、ということも忘れてはならないでしょう。
竜馬は一日にして成らず。


☆「徳川家の罪」 2018/08/12

「いま、オロシャ(ロシア)が沿海州から乗り出して北海道へ攻めてきたら、幕府はどうなされます」
 と、竜馬は開口一番やった。
「周章狼狽するだろう」
 と、一翁はかるく受け流した。
「だけですか」
「まあ、だけだろうな。横浜の外国公使どもに泣きついて、その力で牽制してもらうしか仕方あるまい」
「戦わずに?」
「まあ、戦わぬというわけにはいかぬ。戦わなければ、牽制してくれるはずのフランス、イギリスなども、こんな国かと思ってみずから料理人となり、ロシアとともに分けどりにしてしまうにちがいない」
「されば戦う、とわかりましたが、たれが戦います。旗本八万騎ですか」
「いや、物の用に立つまい」

 途中省略

「百姓、町人がいいのか」
 一翁は、疑わしそうな眼をした。竜馬もおなじ眼つきをして、くびを横にふった。
「いけませんな」
 なぜなら、百姓、町人という階級は、徳川の政策で自分の階級に矜りをもてないように訓練されてきている。
 それに、欲望があって教養がない。さらに、徳川政策である。「民は由らしむべし、知らしむべからず」という方針のおかげで、税金をとりたてられるだけの被支配階級になっており、ことばをいいかえれば、社会に対する一種の「無責任階級」になっている。そういう階級からは、私欲を無視して公共のために働こうという物好きが出にくい。
「こんな妙な階級をつくったのは、大久保さん、徳川家の罪ですよ」

 途中省略

 日本人の人口のうち、九割が百姓、町人で、一割が侍なのである。一割だけが、自分に矜りをもつことができる「市民」であるといっていい。
「しかし坂本君、罪ばかりではあるまい。徳川は、武士を作った。これは、一個の人間として清国にも墨国(アメリカ)にもないものだよ」
 その武士のうち、高級武士が腐敗しているとすれば、期待されるのは、下級武士ということになる。武士としての教養、道徳があるうえに、飲まず食わずの家庭の出だけに、あふれるような野性と気概をもっている者が多い。

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

「徳川家の罪」 2019/01/23

長州征伐を打ち出した途端、ぞろぞろと隠居願いを出して、当主が小童(こわっぱ)だらけになってしまった、旗本八万騎。
「そんなごく潰しどもを、真っ先に討伐してくれるワッ」
とでも言ってみれば、あれよあれよ、そのご隠居さん共が刀槍を取って立ち向かって来るのは火を見るよりも明らか。暖衣飽食に飽いた人間の成れの果てを、見事に描写している。

「民は由らしむべし、知らしむべからず」
こういう厚顔無恥な政策を愚民化政策というが、現代人の筆者でさえ恥ずかしさを覚える。いや、色んな意味で。

社会に対する一種の「無責任階級」
いやもうこれは参った。止めを刺されちゃいましたね。
そうは言っても、高級武士とやらが輪をかけた無責任揃いなんだから、よくぞ維新に辿り着けたなと、感心しきりですよ。無責任揃いだったから、逆に良かったのかな。
血気の志士が狂躁してしまっても、そりゃぁ仕方ないですね。

「恐れ入りましてござりまするぅ」(平伏)
これは、「恐れ入れ」という軽い刑罰の一つで、お上を恐れろ、楯突いてはならん。と訓練しちゃってた訳ですな。それで済んじゃうんだったらある意味お気楽かな、なんて。いや、矜りはどうなるんじゃ。


☆高杉晋作 2018/08/14

 この天才肌の男はつねにカンで行動し、そのカンは余人から奇異にみえるが、つねにはずれたことがない。
 理屈は、行動しつつ、あるいは行動したあとで考えるのだ。
(こうでもせぬと、来島のおやじはおさまらなかったであろう)
 たしかにそうである。
 高杉が、ただの秀才官僚なら、山口へとっとと帰って藩主と世子に復命し、
「来島又兵衡はああいう性格でございますから、それがしのような非力な者ではおさまりませなんだ」
 といえば済む。
 済むことだ。たしかに高杉の一身のことはそれで済むが、来島又兵衛とその遊撃軍は集団脱藩してしまう。
 高杉は船中なお考えた。
 かれの意見は、むろん来島又兵衛式の激発は藩をほろぼすということである。こういう点では、いつもそうだが、とっぴにみえて高杉ほどの自重家、慎重主義者はまずない。
 といって、因循姑息、朝廷や幕府からたたかれるままにたたかれて、平あやまりにあやまってゆくという藩内俗論派の意見ともちがっている。
 長州藩を戦国のむかしにかえし、幕府から武装独立してしまうという意見であった。
 これを当時の流行語でいうと「割拠主義」といい、長州藩は結果として高杉の意見と予想と方向へ舵をとってゆく。いや、舵をうしなってその割拠の方角へ流されてゆく、ともいえる。

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

高杉晋作 2019/01/24

「因循姑息、朝廷や幕府からたたかれるままにたたかれて、平あやまりにあやまってゆくという藩内俗論派」
情けなさを通り越して悲しくなってくる。それが封建制度というものであるか。

最近、流行になりそうな自国第一主義、「割拠主義」にまで戻るんだろうか。

高杉晋作の人物像についても、この先も登場しますのでもう少し待つことにしましょう。


☆馬鹿が国家をほろぼす 2018/08/17

幕臣たちはことごとく池田屋ノ変に快哉をさけんだが、勝のみは不快とした。日記のなかで、
「無辜を殺し」
 という一条に、勝の怒りがあらわれている。殺しあってなにになるか、というのである。
 勝は、となりの大清帝国がなぜ外国に侵略されつつあるかを知っている。すべて国内の体制がもろく、官人党を結び、党利を考えて国家を考えざるがためだ、と力説してきた。
 徳川幕府などは単に政府にすぎず、これをもって国家だとおもうのは愚人の証拠だ、と幕臣勝はもし公言できるならばそう公言するような男だ。
 佐幕は、党である。その党利をもって反対派をころしてよろこんでいる。
「馬鹿が国家をほろぼす」
 と、勝は、自分が幕臣でしかも軍艦奉行でないならば叫んだであろう。
 勝は、長州にも好意をもっていない。むこうみずの攘夷論をふりかざし、横暴のかぎりをつくしている。これもまた、党である。
 が、勝のみるところ、懦弱でなんの国家意識もない旗本八万騎よりも、孤剣決死の攘夷志士のほうにまだしも好意をもっていた。かれらは幕臣などよりも、純粋に熱情的に国家を考えている。

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

馬鹿が国家をほろぼす 2019/01/24

いつの時代であれ、どんな制度であっても、官人党を結びたがるものだし(国家を考えているか、いないかは知りませんが)、党利にご熱心のあまり反対派と潰し合いをしているようでは、なんとなく先が見えて来てしまう。

結局は、人間の本質の部分であって、制度だけの問題では無いと思う。どんなに優れた制度であっても、老い朽ちてしまえば元の木阿弥。そうなる前に新鮮な風を吹き込めるのは、主権者たる国民しかいません。

民主主義も所詮は輸入物だから、今までは、制度の充実を図る方に目が向きがちだったんだと思う。これからは、あわせて運営(人間の本質)にももっと目を向けるようにしたいところです。ざっくりとした、とらえどころのない話になっていますが、人間というとらえどころの無いものが相手では、これだ、というものも無いんでしょう。永久にイタチごっこするしか無さそうだ。
間違っても、「潰しあって何になる」と肩怒らせて力説したところで、どうにかなるものでも無いし。


☆役立たずの世襲役人 2018/08/18

 諸藩では、軍艦、汽船、風帆船を外国から買い入れることがはやっている。
 ところが、買い入れても自藩では動かせない。どの藩でも、古来、御船奉行、御船方という世襲役人がいるが、和船の能力しかなく、この方面の技術者不足で弱っていた。
「加賀百万石といっても汽船ひとつ動かせないというのが日本の現状だ。長州藩だっておなじさ。軍艦ひとつあやつれない人間が、攘夷々々と駈けまわったところで、どうなるもんでもないよ」
 勝の議論はついそこにゆく。
「そうだろう、天下に志士という者が横行している。京にはその頭目連中があつまっている。かれらは攘夷を叫んで大きに雄弁だがそのうちで攘夷のための軍艦が動かせ、大砲が撃てるというのは、竜さんえ、あんたのほかたれもいないよ」
「これは恐縮ですな」
「いやお前さんをほめているんじゃねえ。お前さんを仕込んだおれ自身を自画自賛しているんだよ。頼むよ。竜さん」
「なにをです」
「何をじゃねえ、国のことをさ。おれは幕吏だ、お前さんのような自由の境涯じゃない。書斎で咆えているだけのことだ。おれをありがてえと思うなら、おれが付けてやったその背中の翼で力いっぱい天空を飛翔しな」

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

役立たずの世襲役人 2019/01/25

山水画の様な世界の中で微睡んでいた奉行達にも、漸く揺り起こされる時が来た。
寝ぼけまなこにぼんやり映った、この世のものとも思えぬ光景に、みな呆然と佇んだ。

今まで悠久の微睡を楽しんでいたくせに、流行にだけは敏いお侍さんが汽船に手を出してしまう。
そんな時だから、順序が前後するのはいいとしても、その動機はどうせ「はやり」なんだろうな。
深い意味を期待してはいかん。

現代社会の変化の速度には、微睡んでいる暇などなく、次から次へ呆然とさせられる。
こんなせわしない時代だからこそ、心の中ぐらいは、山水画の様な世界で遊びたいものだ。
もう、こんな時間か。


☆目覚める西郷 2018/08/22

 西郷は、開口一番、
「おそれながら、このたびは大公儀の優柔不断をしかりに参りました」
 といった。幕府が、長州を追討すると公表していながら一向に腰のあがらぬのを西郷は指摘したのである。指摘することによって幕閣の意がどこにあるかをさぐろうとした。

 途中省略

「幕閣々々とたいそうに申されるが、ろくな人間はいませんよ。老中、若年寄といっても、みな時勢にくらい。たとえば、今回の禁門ノ変で過激の浪士が長州軍に従軍して戦死し、生き残った者も畏縮して再起不能にまでなっているのを幕閣ではよろこび、もうこれで天下泰平だとおもっている。その日ぐらしのおどろくべき無能の徒ぞろいですよ」
「ははあ」
 西郷は、息をのんだ。
 幕府の軍艦奉行から、これほど痛烈な幕府批判を聴こうとはおもわなかったのである。

 途中省略

 西郷は、勝とのこのときの対面によって、はじめて自分の世界観、新国家論を確立させた、といっていい。
(それにしても、勝はえらい)
 とおもった。
 幕臣のくせに、幕府をこうも明快に否定している。
「幕府なんざ、一時の借り着さ。借り着をぬいだところで日本は残る。日本の生存、興亡のことを考えるのが当然ではないか」
「いかにもそのとおりでごわす」
 と西郷はうなずいたが、内心、自分はどうか、とこの瞬間考えたかどうか。西郷はのちに西南戦争をおこしたように、終生、薩摩藩というものが脳裏から抜けきらなかった。

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

目覚める西郷 2019/01/25

竜馬、西郷という倒幕の巨頭が、幕臣である勝大先生に会ったことによって目覚めるのが、歴史の不思議さを感じさせる。
もっとも、相手をはぐらかす大先生一流の手だったつもりが、本当に幕府を倒しやがった、と実は内心驚いていたかもしれない。であったとしても、歴史は不思議だ。

「その日ぐらしのおどろくべき無能の徒ぞろい」
門閥主義、だったからと簡単に片づけてしまっていいものか。


☆竜馬と西郷 2018/08/24

「おのれを愛するなかれ」
 というのが、かれの自己宗教の唯一の教義であった。かれは、幼少のころ読書がきらいで、休吾という家僕にさえ苦情をいわれたほどだが、二度の島流しのあいだに非常な読書家になり、――どういう人間が大事業をなせるか、を考え、ついに結論をえた。
「命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は、始末にこまるものなり。この始末にこまる人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬものなり」
 竜馬にもこれに似た語録がある。かれの場合は西郷より逆説的で、西郷のような宗教性はないが、それだけにするどい。勝が竜馬を「抜け目のない西郷」といったゆえんだろう。
 たとえば、大事をなすという点でも、竜馬の語録では、「世に生を得るは事を成すにあり」という点で西郷と一致しているが、すぐつづいて「人の事跡を慕ひ人の真似をすることなかれ」ということを強調するあたり、山っ気がつよい。
 また死生観にしても西郷に似ているが、
「牛裂きに逢ふて死するも磔に会ふも、又は席上にて楽しく死するも、その死するにおいては異なることなし。されば英大なることを思ふべし」とか、「われ死する時は命を天に返し、高き官へ上ると思ひ定めて死を畏るるなかれ」とかいうあたり、西郷に似てはいるが、竜馬にはどうも現実臭が濃い。

 途中省略

 このふたりの締盟とともに幕末史は意外な方向に発展してゆくのだが、その点についてはこの長い物語の進みぐあいを、筆者は読者とともに気長く待たねばならない。
 とにかく西郷は竜馬を、
(いままで見たことのない型のやつだ)
 とおもった。竜馬も同じことを思った。
 ふたりの思想は、ちがう。竜馬は、その語録で書きとめているように、二十世紀のこんにちでも、なお毒物のような妖しい光を放って新鮮さはいささかも失せない。
 竜馬は、その語録でいう。
「気の弱きは善多く、気の強きは悪多し」
「大奸智にして無欲の人を」
 と、竜馬はいう。「日本では鬼神と言ひ、唐土にては聖人と言ひ、天竺(印度)にては仏と言ひ、西洋にてはゴッドと言ふ。所以は(要するに)一つなり」
 論理が、けんらんたる逆説にみちている。竜馬は「大奸智・無欲の人」たらんとし、西郷は「大至誠にして欲を去ろう」とした。
 竜馬にいわせれば、
「おなじ、大曲者さ」
 というのだ。両者、型は同類である。しかしにおいは、まるでちがっていた。

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

竜馬と西郷 2019/01/26

「気の弱きは善多く、気の強きは悪多し」
「おなじ、大曲者さ」
少々論点が外れる気もするが、人が語る善・悪ほど曖昧模糊なものも無い。
その結果がもたらすものが、自分の欲に合致すれば善であるし、そうでないものは悪、視点によって簡単に入れ替わってしまう。
その善行と思しきものの根底に欲が隠れているなら、それも結果は悪となる場合がある。
結局、結果の善悪とは表裏一体なんだろう。

信長が、叡山の全山焼き討ちの挙に出たのも、同じ理屈じゃないかと思っている。
全ての僧侶が悪行三昧をしていた筈もなく、善人と言われる僧侶達が存続の為に悪行を覆い隠していた事によって、後戻りできない状態にまで進行してしまっていたなら、外から見ればそれも悪と変わらない。

全山焼き討ちを実行したのは信長であっても、その実は天罰ではないかと思っている。自分は気の弱い善人だと高を括っていると、背後から、天罰という魔の手が忍び寄っているのかもしれない。
天罰、と呼ばれるものは天災と同じで、人間の思惑など入り込む隙間など無いんだろう。
現在で言えば、内部告発を善と見るか、余計な事をする厄介者扱いするか。その根底の欲によって見え方も変わる。

竜馬は、心を鬼にして、その上で無欲の人たらんとした。
考える程に難しくなってくる。

何も、悪を推奨してなどおりませぬ。


☆土佐っぽの狂躁 2018/08/25

 元治元年師走も押しつまってから、長州へ潜入していた中島作太郎が帰ってきた。

 途中省略

 長州探索というかれにとってうまれてはじめての大任を果たしたために、報告の口ぶりがひどく熱っぽい。
(これは聴けん。風呂にでも入れてめしを食わせ、気が静まってからしゃべらさねばなるまい)
 竜馬がそう思ったのは、こういう年少者の熱っぽい語調で語られる報告を頭に入れると、どうも冷静な客観的判断をうしなうと思ったのである。

 途中省略

「坂本さん、道中、詩を作りましたよ」
「そうかね」
「吟じてもいいですか」

 途中省略

「作、もういい」
 竜馬は、浴槽のなかで顔を洗いながらいった。作太郎のあまりにもむきな若さが、へんに気はずかしくなってきたのである。
「土佐っぽは死をいそぎすぎる、と世間ではいわれている。なるほど、天誅組、池田屋、蛤御門、考えてみれば死んだやつはほとんど土佐のやつだ」
「・・・・・・・・・」
「その詩はよくないよ」
「なぜです」
「死を賛美している。これからの時勢はもはや決死剽悍の暴勇だけでは間にあわぬ。一人で天下を動かす気概と智恵が必要だ。土佐っぽの狂躁、落ちつきなさを、いいかげんにすてることだ」

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

土佐っぽの狂躁 2019/01/27

この時代の若者にとっては、「尊王」という言葉だけで酩酊状態になってしまう程に、不思議な語韻があったそうで、むろん、若い攘夷志士である中島作太郎も例外では無かったでしょう。
この時代特有の事なのかと言えば、そんなに特別な事とも思えず、時代にかかわらず、時に何かに思い詰めてしまうことはそれも人間の性なんでしょう。
ただ、死を賛美するようなことは、これはまた別の話で、それはよくないよ。


☆竜馬の特技 2018/08/26

「戦国の武士には」
 竜馬はいった。
「おのれの男を立てることとおのれの功名を立てることしかなかった。くだって徳川氏全盛の世の武士は主君と藩への忠義しかない」
「ほ、ほ、・・・・・・」
 西郷は目を見はった。この竜馬という男がこんなに議論するとはおもわなかったのである。
「いまはちがう。有志はそのココロザシに殉ずる時勢になっている。わしども土佐人を見なされ、すでに殿様を見かぎって自分のココロザシに殉ずるために天下へ出た。長州人たちも同然だ。脳中、毛利家はあるまい。日本と天朝のみがある。いま幕府がかれらを再征するとせよ。なるほど毛利家はつぶれるかもしれぬが、多数の長州人は天下に四散し、あくなく活躍するだろう。薩摩はそれをしも、討つか。日本は混乱し、血と泥の国土になるにちがいない」

 途中省略

「いま天下は」
 と、竜馬はいった。
「幕と薩と長によって三分されている。他の藩などは見物席で声をひそめちょるだけで、存在せぬのもおなじですらい」

 途中省略

「三者が闘争してたがいに弱まるのを待ち、異国人どもは日本領土を食らいあげてしまおうとする。そうなれば将軍も薩も長もごった汁になって異人の胃の腑にはいる。そうなれば後世、薩長をもって国をあやまったる賊徒としてあつかうでござろう」
「されば、幕は?」
「幕は、これはどうにもならぬ。うわさでは幕府のさる高官が、フランスからばく大な金と銃器を借り、それをもって長州を討つ、というはなれわざを考えているらしい。徳川家一軒をまもるために日本をフランスに売りわたそうとしている。薩摩藩はそれでもなお幕府と手を組みなさるか」
 西郷は沈黙した。竜馬が意外な情報通であることにおどろいている。
 竜馬の特技といっていい。
 この若者は、物おじもせずひとの家の客間に入りこむ名人といってよかった。相手もまた、この若者に魅かれた。ひかれて、なんとかこの若者を育てたいと思い、知っているかぎりのことを話そうという衝動にかられた。

 途中省略

 去年の暮からことしの春にかけてずっと薩摩藩の大坂屋敷に住みっぱなしであった。この間、かれは脱藩浪人の身ながら幕府の大坂城代屋敷にゆうゆうと出入りし、毎日のように大久保一翁に会っていた。
 一翁は、勝海舟、小栗上野介忠順、栗本鋤雲などとともに、幕臣のなかでは有能な外政通だった。
 そこで、日本における外国公使のうごきや意見、こんたん、策謀、などをふんだんに仕入れている。かれのこの大坂における数ヵ月は、幕府をとりまく外国情勢の取材にあったといっていい。
「フランスと幕府が野合しておるという一件まことでごわすか」
 と、西郷は注意ぶかく竜馬をみた。竜馬はくびを横にふって、
「いや、よくわかりません」
 といった。ほんの聴きかじりにすぎぬ、と竜馬は言い、しかし第一次長州征伐のときには幕府はその金庫に軍費がなく、そのため征長令を発令していながらあれほどぐずぐず出しぶっていた。ところが。
 と竜馬はいう。
「こんどにわかに、それも大そうな景気で再征をとなえ出した。これは金づるが見つかった証拠でござろう」
「ふむ」
 西郷は、顔色がかわっている。むりはなかった。幕府権力が衰弱した唯一の理由は、金がなく極端な貧乏世帯におち入っているということだった。もしその幕府に金づるができれば、洋式の陸軍をととのえ、海軍を整備し、諸藩に君臨することができる。薩長などは、鬼の前に出たこびとのように、ひとひねりにひねりつぶされてしまうことはたしかだった。

 途中省略

 西郷は、ぼう然と聴き入っている。

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

竜馬の特技 2019/01/28

さらにくだって現代は、・・・もう武士はいないか。

この時期、長州処分を巡っては幕府側はどこもかしこも逃げ腰で、巡り巡って薩摩藩の一藩士である西郷の判断によって幕府が動きかねない。という、何ともお粗末な無責任体質極まれり、という状態になっていた。

西郷も、この頃迄は長州を叩き潰す。という意見であったが、竜馬とのこの対談によって対長州問題の外交方針を検討しなおそうと考えはじめた。


☆薩長連合の仲人 2018/09/01

 ――長州へゆこう。
 と竜馬は決心し、夜を日についで歩いた。

 途中省略

 いきなり長州にゆくよりも、大宰府に立ちよってある工作をする、というのが竜馬のいわばみそだった。
 大宰府には、五卿がいる。

 途中省略

 流亡の公卿とはいえ、天下の攘夷志士のひそやかな憧憬をうけ、とりわけ長州系志士に対する五卿の発言は、ときに藩主以上といっていい。
(まず、五卿を口説き、五卿もそうおおせられている、ということで長州人を口説く)
 というのが、竜馬の策であった。

 途中省略

 竜馬と三条実美卿の対面は、博多仁輪加のように珍無類なものだったらしい。
 竜馬が、
「まず、地球はどうなっちょりますか」
 と世界情勢から述べ、ヨーロッパの政局を見てきたように説き、欧米列強に侵略されつつある大清帝国の惨状を語り、「日本ここで一変せざらんには、清帝国とおなじ悲運に立ちいたりましょう」といった。
 その間、竜馬はふんだんに滑稽な譬え話をもちい、そのおかしさに三条卿は腹をかかえて笑い、しまいには畳の上にころがるほどの騒ぎで、陪席している山本兼馬ら土佐浪士も双方のおかしさに堪えかねて、顔を真赤にして必死に笑いをこらえる始末だった。
「このときにあたって薩長たがいに私怨をふくみ、不倶戴天と称し、すきあらば刀槍銃砲をもって相戦わんとしちょります。われわれ日本人として迷惑かぎりもない」

 途中省略

「とにかく坂本、薩長は連合せにゃいかんということだな」
 という三条の反問に竜馬はウンとうなずき、
「長州人は毛利公の申されることより御前様らのお言葉を重しと致します。これに賛成じゃと申されれば、さっそく某(それがし)長州に乗りこみ、かれらを説得つかまつりましょう」
「いかにも賛成である」

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

薩長連合の仲人 2019/01/28

この当時、日本に住む民俗を指す言葉として、「日本人」という単語を使う者はいなかったから、三条も新鮮さを覚えたようです。これは、余談。

ここ暫く、竜馬の仲人ぶりを見て行きましょう。


☆もう一グループの仲人 2018/09/02

「君のいう薩長連合のことだ。おれは薩摩が信じられぬ。とくに西郷という男が信じられぬ。と申すより瞭然とあの男がきらいだな」
 むりはなかった。従来、薩摩の藩方針は現実によって変転し、そのためきのうの友藩を捨て、敵にまわった。長州藩がその最大の被害者であるし、桂個人にしても、京都、但馬における命がけの逃亡潜伏も、みな薩摩とその代表者の西郷の裏切りからでている。
「恨みは恨み、現実は現実」
 と、竜馬がいった。

 途中省略

 桂に、薩長連合を力説した。桂は慎重すぎるほどの性格で容易にうなずかなかったが、ついに竜馬に押しきられ、
「薩州さえその気なら長州はよい」
 といった。「ただしわが藩人は薩摩をひどく憎んでいるからこの件は秘密にねがいたい」
 とも言いそえた。
 桂が帰ったあと、意外な人物がきた。

 途中省略

 じつのところ、竜馬は、「薩長連合」という天下の大陰謀にかけまわっているのは、天下ひろしといえども自分ひとりだとおもっていた。
 ところが、いま一グループが居た。
 それがなんと、同郷の中岡慎太郎と土方楠左衛門のふたりであった。

 途中省略

 中岡は中岡で、京都潜伏中に、
「どうしても薩長連合をやらねばならぬ」
 とおなじ奇策を思いたち、たまたま京都潜行中は錦小路の薩摩藩邸にいたから同藩の吉井幸輔らに相談した。
 吉井にだけ相談したのではない。中岡は公卿の岩倉具視という当時から怪物とされている男を、洛北岩倉村のその蟄居所へ訪ね、「手をかしてもらいたい」と説き、その快諾を得、さまざまな下準備をしたあげく、
「要は長州の桂、薩州の西郷を説けばよい。このふたりさえ手をにぎればあとはなんとかなる」
 と見、同行している土方楠左衛門久元に、
「おれはこれから八方奔走する。しかし体が一つでは何ともならん。手分けしよう。おンしは長州へ行って桂にこの旨を伝えてくれぬか。わしは薩摩へ飛んで西郷を説き、西郷を長州まで連れてきて手をにぎらせる」

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

もう一グループの仲人 2019/01/28

竜馬は、もともと中岡の手を借りようとしていたが、中岡が上方にとんでいて会えずにやむなく単身長州に乗り込んだのだが、中岡も同じ事を考えていたとは。


☆仲人失敗 2018/09/02

「待っちょったぞ」
 と竜馬がいうと、中岡はガラリと大刀を投げだして、
「失敗じゃった」
 折りくずれるようにすわった。紋服が、しぶきと潮風で、よれよれになっている。
「中岡、しっかりせい、人の世に失敗ちゅうことはありゃせんぞ」
 と竜馬は声をはげまし、そのいきさつをくわしく語らせた。
 中岡が海路鹿児島についたのは、閏五月六日である。すぐ西郷の家をたずね、薩長連合のことを談じ入れた。
「ああ結構でごわすとも」
 と西郷は酒を出して歓待し、「その一件はお国の坂本サァからも伺っていもす。いつまでも私怨を結んじょってはあいならんと叱られもした」

 途中省略

 十六日に出港した。

 途中省略

「中岡さァ、どうも申しわけ無かことが出来もした。いまからすぐ京へ来い、ちゅう手紙が来ちょります。コヤ、残念ながら下関へは寄れもさんな」

 途中省略

とにかく、将軍の無謀の出兵をやめさせる勢力は、朝廷しかない。しかし公卿は弱腰で幕府の言いなりになるだろう。そこでいそぎ京にのぼり二条関白以下の有力公卿を歴訪し、
「このたびの長州再征は無名の師(大義名分のない出兵)で、薩摩藩は加わらないのみならず、反対である」
 という旨をしっかりたたきこんでくる、と西郷はいうのである。

 途中省略

(西郷、変心したな)
 と、竜馬は、一瞬おもったが、すぐおもいかえした。
(こちらに無理があったのだ)
 中岡が、この刃物のような舌で理詰めにつっこんでゆくと西郷も立たざるをえなかったのであろう。押しきられたようなかたちで船に乗ったにちがいない。それがだんだん船中で考えているうちに冷めてきて、
(なにもわが薩摩藩から長州の軍門へ出かけてゆくことはない。出かけてゆけばこちらの負い目のような形になるではないか)
 と、藩の体面を重んじたのであろう。それに、土州浪士中岡慎太郎の口さき一つでひっぱり出され、のこのこ下関くんだりまでいったりすれば、薩摩憎しの長州人がぞろりとやってきて思わぬ恥をかかぬでもない。・・・・・・

 途中省略

「だめだ、桂が怒る」
 桂が怒れば永久に薩長連合は遂げられず、日本は暗黒の淵に沈むだろう、と中岡はいった。

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

仲人失敗 2019/02/02

この時、京からの手紙の差出人が大久保一蔵であることを見ると、薩摩藩としてはまだ纏まりきれていなかったのかと思われる。
いかな西郷と言えども、さすがに盟友抜きで事を進める気にはなれなかっただろうし、その理由は単純ではないでしょう。
薩摩藩が、長州再征に反対の意を示しただけでも、一歩前進といったところですか。


☆長州興亡に関する妙案 2018/09/03

「桂君、申しわけない」
 と、真っ四角になり、いまにも腹を切りかねない血相だった。
「西郷君は、来なかった」
「えっ」
 桂は、中腰になった。両手が怒りでぶるぶるふるえている。
 中岡はくわしく説明した。が、桂の耳には入りそうにない。
「もう、説明なぞはよい」

 途中省略

「中岡君、申しておく。長州じゃ、もともとひとりも薩摩の豚と手を握ろうという腹をもっている者はいないんだぞ。奇兵隊の隊長連中などは、薩州と手をにぎるほどなら、洋夷の靴を頭にいただいたほうがましだ、といっているほどだ。藩公父子も、ほぼおなじお気持であられた。そこを、わしが必死に説き、やっと下関で西郷と会う、ところまで漕ぎつけた。帰ってわしはなんと弁明できるか。本来なら腹を切らねばならぬ」

 途中省略

「そのくらい怒声を投げつければ、そろそろ腹の虫もおさまるだろう」
「坂本君」
「まあ、わかった。わしに妙案がある。長州興亡に関する案だ」

 途中省略

「長州藩は、幕府と戦う。十中八、九、長州の敗けだ。が、勝つ法はある。軍艦と洋式銃砲を買い入れることだ」
「わかっている。しかし、買えぬものはどうにもならぬ」
 当然なことだった。日本の公認政府は幕府である。潜在政権は京都朝廷である。その二つから敵としてあつかわれている長州藩に、外国商社が兵器を売ることはできない。売れば、日本で商売ができなくなってしまう。
「薩摩藩の名目で買えばよい」
 と、竜馬はひどく飛躍したことをいった。
「ばかな、その薩摩がたったいまいったような態度ではないか」
「桂君に、おれの亀山社中のことはいわなかったかな。おれは、薩摩藩から商売をまかされている」
「聞いた」
「ならばたしかなことではないか。おれの亀山社中が軍艦を買えば、薩摩藩が買ったとおなじではないか。それをそのまま長州へまわす」

 途中省略

 桂はひざを乗りだした。
「ほんとうにそれができるか」
「できる。おれが土州の連中を中心に亀山社中をつくったのもそれがためだ。おれの社中を中心に、薩長が手をにぎる。つまりまず商いの道で手をにぎる。そこでおたがいの心底がわかれば、同盟ということになる」
「ふむ」
 桂は、眼をかがやかせた。竜馬はさらにいった。
「よく考えてみれば、この下関で西郷がきて君と握手し、いきなり薩長連合をとげる、というのははじめからむりさ。その無理を承知でサイコロをふったわけだが、思うような目が出なかった。世のことは偶然を期待してはいかん。桂君、きみもそうやたらと腹を立てないほうがいい」
「頼む」
 と、桂は竜馬の手をにぎった。

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

長州興亡に関する妙案 2019/02/02

このころの貿易は、幕府の独占で諸藩にうまみを与えなかった。それに対する反感も加わって、攘夷も単なる外国人嫌いから反幕的なもの迄、内情は複雑化していた。

いよいよ、竜馬の本領発揮。
亀山社中には密貿易の魂胆もあって、薩摩側からも公儀の目を気にする見方もあったが、「浪人会社ですきにのう」とかうそぶく。これから倒そうとしている幕府の事を一々気にしている竜馬でもない。

それにしても、激怒している桂を前にして、何というか、やはりなみの人物ではないですね。


☆地球を動かしているのは? 2018/09/04

 維新回天の業とは――と中岡は思う。同志と議論したり、京で佐幕派に天誅を加えたり、公卿を操縦したり、新選組とたたかったり、天誅組の義挙にくわわったり、蛤御門で幕軍と衝突したり、することだ、とおもっていたし、中岡や土佐浪士たちは、そういう血なまぐさい修羅場を斬りぬけ、いまもその意識のなかにいる。
(が、この男のやりかたはちがう)
 薩長連合ひとつにしても、主義をもって手をにぎらせるのではなく、実利をもって握手させようというのである。生野義挙や、天誅組義挙とはまるでちがった回天の方式だった。ひどく現実的なのである。
「なるほど、竜馬、わかった」
 と、馬首をならべながらいった。
「なにがだ」
「お前の行き方がだ。わしは薩長連合を考えたときに、おなじ尊王主義の両藩がいがみあっているのはおかしい。考えが同じなら一つになるべきではないか、と思い、その方角から手をにぎらせようとした」
 観念や思想から入った、という意味である。
 ところが竜馬は、利害問題から入ってゆく。薩長の実情をよく見、犬と猿にしてもどこかで利害の一致するところはないか、と見た。それが、兵器購入の一件である。長州もよろこび、薩摩も痛痒を感じない。そこからまず糸を結ばせた、というのは、中岡などが経てきた志士的論理からはおよそ思いもよらぬ着想だった。
「志操さえ高ければ、商人のまねをしてもかまわない。むしろ地球を動かしているのは思想ではなくて経済だ」

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

地球を動かしているのは? 2019/02/02

地球を動かしているのは、宇宙の営みであって人間は居なくとも動く。むしろ、人間が居ない方が平和なんだろうな。
人間社会を動かしているのは、経済ですね。これは、余談。

この当時の武士は、思想や観念で動いている者が殆どだったから、利害に着目した竜馬の策も効果があったとして。
はて、現代はと言えば、もう殆どの人が利害で動いてるんだから、今更利害を説かれても特に目新しい事でもないし、大っぴらにやればお縄を受ける事になる。歴史は巡って思想や観念に返るのか、いや、やっぱり利害の方が強そうだ。
今まで、誰にも考えの及ばなかった、誰もやった事のない策で人を動かせれば、歴史に名を遺せるかもしれない。

因みに、商人の真似事は、国元では大不評で乙女姉さん等も、「国事に奔走すると言って国抜けしたのに、商売人になるつもりか」と憤慨していたそうな。当時の階級制度から言えば、武士が商人の真似をするなどあり得ない事だったでしょう。


☆和解への道はなお遠く 2018/09/09

「坂本君、私は帰る」
 長州へ――と付け加えた。

 竜馬は、桂を凝視した。
 この快活でとおった若者が、かつて見せたことのない、すさまじい目つきである。
「わけをきこう」
 と、低い声でいった。事と次第によっては桂をこの場で斬り伏せてもかまわぬ、と覚悟した。

 途中省略

 正月十日、桂ら一行がぶじ京に潜入するとすぐ相国寺門前の薩摩藩邸に入った。

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 桂らは、その奥座敷で薩摩藩の指導者西郷吉之助と会った。
 桂の性格は、やや婦人に似ている。その思慮ぶかさと怜悧さにかけては長州第一等の人物であったが、ただ、つねに感情の鬱屈するところがあり、いったん恨みを結べば容易に解くことができない。
 開口一番、この男は、
「われわれは薩州をうらんでいる」
 と、陰湿な声でいった。和解と友好と同盟のための秘密会議の最初のことばが、憎悪ではじまった。

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 西郷は終始だまって桂のいうところをきいていたが、やがて桂のひとりしゃべりがおわると、西郷は居ずまいをただし、その場に両手をつき、
「いかにも、ごもっともでごわす」
 と、頭をふかぶかとさげた。

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(ほう、西郷は頭をさげたか)
 と、竜馬は感心した。桂よりもはるかに西郷は外交家なのである。このさい、過ぎ去った過去をいくら解剖し評論したところで、双方のためにはならない。西郷はそこを知っているのであろう。
 だからひたすらに頭をさげ、
「まことにごもっともでごわす」
 とのみいった。
 が、桂のほうが子供だった。というより、ここ数年の激動のなかでいじめぬかれたのは長州人であった。その立場からいえば、ついうらみごとになり、皮肉になり、ついには薩摩攻撃になったのはやむをえない。

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 薩摩側は、この長州からの客に対し、貴人をもてなすような手厚さでもてなした。
 桂の痛烈な薩摩批判のことばに対しても、長州のおかれている悲惨な環境から考えて、
「いうだけはいわせてやろう」
 と、たれも抗弁しなかった。みなにこにこして酒間を取りもっている。
 ところが、薩摩側は、ひとことも、薩長連合の話をきりださないのである。

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 薩摩側は、この会談がおわると、翌日かれらを小松帯刀の屋敷に案内し、ここでも御馳走攻めにしたが、ついに口を切らない。長州側も沈黙したままであった。

「待った」
 と、竜馬は怒りをおさえかねて、桂の言葉をさえぎった。
「薩摩が口火を切らぬというなら、なぜ長州から口火を切らぬ」
「それはできぬ」
 桂はひくくいった。目に悲憤の色がある。

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「もしそれをやれば、おれは長州藩の代表として、藩地にある同志を売ることになる」
「ば、ばかなっ」
 竜馬は、すさまじい声でいった。
「まだその藩なるものの迷妄が醒めぬか。薩州がどうした、長州がなんじゃ。要は日本ではないか。小五郎」
 と、竜馬はよびすてにした。
「われわれ土州人は血風惨雨。――」
 とまで言って、竜馬は絶句した。死んだ同志たちのことを思って、涙が声を吹き消したのである。
「のなかをくぐって東西に奔走し、身命をかえりみなかった。それは土佐藩のためであったか、ちがうぞ」
 ちがう、ということは桂も知っている。土州系志士たちは母藩から何の保護もうけぬばかりかかえって迫害され、あるいは京の路上で死に、あるいは蛤御門、天王山、吉野山、野根山、高知城下の刑場で屍をさらしてきた。かれらが、薩長のような自藩意識で行動したのではないことは、天下が知っている。
「おれもそうだ」
 と、竜馬はいった。
「薩長の連合に身を挺しておるのは、たかが薩摩藩や長州藩のためではないぞ。君にせよ西郷にせよ、しょせんは日本人にあらず、長州人・薩州人なのか」
 この時期の西郷と桂の本質を背骨まで突き刺したことばといっていい。

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

和解への道はなお遠く 2019/02/04

土州人、長州人、薩州人其々に其々の想いがあり、まだまだ微妙にすれ違っていた。


☆薩長連合成立ス 2018/09/11

 この桂の言葉は、記録文章では「薩州、皇家ニ尽スアラバ、長州滅スルトイヘドモ亦天下ノ幸ナリ」という名文になっている。
 桂は、長州武士の面目ということにこだわりはしたが、かといって「天下」を考えていないわけではない、ということが竜馬にわかった。
 同時に桂の、拗ねきった捨て鉢のすさまじさが、言外にあらわれている。

 途中省略

 竜馬は桂を面罵したものの、桂のもはや藩の滅亡を覚悟した言葉には感動した。
 このときの竜馬の態度を、桂側の記録文章を借りて書くと、
 竜馬、黙然タルコト稍(やや)久シク、桂ノ決意牢固トシテ容易ニ動カスベカラザルヲ察知シ、マタ敢ヘテ之ヲ責メズ。
 この土佐人は、佩刀をとって立ちあがった。
「どこへゆく」
 と、桂の声が追っかけてきた。
 竜馬はもう廊下へとびだしていたが、「知れたことだ」と捨てぜりふのようにいった。薩州の二本松屋敷へゆく。

 途中省略

 「西郷君、もうよいかげんに体面あそびはやめなさい。いや、よい。話はざっときいた。桂の話をききながら、わしはなみだが出てどうにもならなんだ」
 竜馬は、「薩州があとに残って皇家につくすあらば、長州が幕軍の砲火にくずれ去るとも悔いはない」という桂の言葉をつたえ、
「いま桂を旅宿に待たせてある。さればすぐこれへよび、薩長連合の締盟をとげていただこう」
 竜馬はそれだけを言い、あとは射るように西郷を見つめた。

 筆者は、このくだりのことを、大げさでなく数年考えつづけてきた。
 じつのところ、竜馬という若者を書こうと思い立ったのは、このくだりに関係があるといっていい。
 この当時、薩長連合というのは、竜馬の独創的構想ではなく、すでに薩長以外の志士たちのあいだでの常識になっていた。薩摩と長州が手をにぎれば幕府は倒れる、というのは、たれしもが思った着想である。

 途中省略

 すでに、公論である。
 しかししょせんは机上の論で、たとえば一九六五年の現在、カトリックと新教諸派が合併すればキリスト教の大勢力ができる、とか、米国とソヴィエト連邦とが握手すれば世界平和はきょうにでも成る、という議論とやや似ている。
 竜馬という若者は、その難事を最後の段階ではただひとりで担当した。
 すでに薩長は、歩みよっている。

 途中省略

 あとは、感情の処理だけである。
 桂の感情は果然硬化し、席をはらって帰国しようとした。薩摩側も、なお藩の体面と威厳のために黙している。
 この段階で竜馬は西郷に、
「長州が可哀そうではないか」
 と叫ぶようにいった。当夜の竜馬の発言は、ほとんどこのひとことしかない。
 あとは、西郷を射すように見つめたまま、沈黙したからである。
 奇妙といっていい。
 これで薩長連合は成立した。
 歴史は回転し、時勢はこの夜を境に倒幕段階に入った。一介の土佐浪人から出たこのひとことのふしぎさを書こうとして、筆者は、三千枚ちかくの枚数をついやしてきたように思われる。事の成るならぬは、それを言う人間による、ということを、この若者によって筆者は考えようとした。
 竜馬の沈黙は、西郷によって破られた。
 西郷はにわかに膝をただし、
「君の申されるとおりであった」
 と言い、大久保一蔵に目を走らせ、
「薩長連合のことは、当藩より長州藩に申し入れよう」
 といった。
 大久保は、うなずいた。

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

薩長連合成立ス 2019/02/04

「事の成るならぬは、それを言う人間による」、著者である司馬先生も考え続けた様に、読者銘々が考える上での邪魔にならぬ様、筆者からの論評はありません。
是非、原著をお楽しみくださいませ。

薩長連合を締盟する迄のくだりは、竜馬の着眼点の面白さを中心に、著者も難事と言う程ゆえ大雑把ですが採り上げてみました。筆者からの論評は少ない状態になっていますが、とりあえず置いておきます。


☆寺田屋襲撃 2018/09/12

「坂本様、三吉様、捕り方でございます」
 と、小さく、しかし鋭く叫んだ。

 途中省略

「しかし、どう考えても逃げ路はないようです」
 と、慎蔵はいった。
「三吉君、逃げ路があるかないかということは天が考えることだ。おれたちはとにかく逃げることだけに専念すればいい」
 絶望するな、と竜馬はいうのであろう。

 途中省略

「とにかく、よくぞ斬りぬけたことだ。いま思うと夢のような気がする」
「百人はいました」
 おりょうは、まだ昂奮から醒めていないらしく、眼が据わり、息が弾んでいる。百人に襲われてたった二人で斬りぬけるなどは、もう奇蹟というほかない。
「ただふしぎなことは、坂本さんがついに刀を抜かなんだことだな」
「忘れてたんじゃないでしょうか」
「まさか。あの人は剣の玄人ですぜ」
「でも、ときどき、腰に刀をさすのをわすれて外へ出たりしている人ですよ」
「しかしあの現場ではちゃんと帯びていた。千葉道場の塾頭までつとめたほどの剣客が、襲われて刀を抜きもせぬ。そういう人物は古来剣客伝中、あの人ひとりでしょうな」

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

寺田屋襲撃 2019/02/04

これぞ、剣の達人。

坂本竜馬という人物を知るには、剣の達人であるという背景を抜きにしては知りえないでしょう。
剣の達人たる所以は、これも、原著でお楽しみくださいませ。

因みに、この事件を知った西郷が、あやうく周囲も仰天する行動に出ようとした、という挿話もあります。


☆結社の掟 2018/09/13

 武士の道徳は、煮つめてしまえばたった一つの徳目に落ちつくであろう。潔さ、ということだ。
 盗賊を働いてもいい。殺人をおかしてもいい。それらの罪は世の法によって検断されるが、たとえ検断されても武士の武士たる所以のものはほろびはしない。それがほろび去るのは、その法を犯した者が、潔くなくなる瞬間からであった。

 途中省略

「社中の鉄則としてこんな明文がある。すべて事の大小となく相謀りてこれをおこなうべし、もしこれにそむく者あれば切腹してその罪を謝すべし、と。ところがいま不幸にして社中でその人が出た。心に思いあたる仁は、切腹して罪を謝してもらいたい」
「私のことか」
 饅頭屋は蒼白になっている。唇をふるわせながら弁解しようとすると、
「弁疎は無用だ。みずからをかえりみて直くんばそれでよし。やましければ席をたって奥座敷へゆき、さっさと腹を切ればよい」
 と、関雄之助はいった。

 途中省略

 かれら社中の連中がわざと罪人の監視をせず、いったん町へ去ったのは、罪人の「武士」をみとめたうえでのことだ。武士ならばたれの監視をうけずとも自決をする。もしここで見苦しく逃げだしたりすれば、
 ――所詮は町人あがりよ。
 と、かれらは冷笑し、饅頭屋は生のあるかぎりかれらの嘲罵をうけつづけるであろう。
(いっそ、死ぬか!)
 思ったとたん、饅頭屋は別人に化した。思考の能力はとまり、南国人特有の狂気だけがその手を動かしはじめた。

「それで、饅頭屋は、死んだのか。介錯してくれる者もなく」
 竜馬は不快そうな、しかしそれをできるだけ表情に出さぬよう努めている声調子でいった。介錯人に首を打たれることなく腹を切った饅頭屋の苦痛が、からだにつたわってくるようで、竜馬はやりきれない。
 死にざまは、立派だったらしい。
 腹を十文字に切り、突っ伏してからまだ死にきれぬため、余力を懸命によびおこしつつ頸動脈を切って果てた。死体の姿勢がそれを物語っていた、という。

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

結社の掟 2019/02/05

武士とは縁遠い筆者であっても、「潔さ」という言葉には特別な感情が沸き起こる。
しかし、潔さは、時に捨て鉢へと姿を変えてしまいそうで難しい。
潔さと、臆するも、境目が難しい。潔さが問われるのは事が決した後であって、その時を見誤れば、「臆したかっ」となるのかどうであるのか。

こういう精神文化は、世界的に見た時、今なお残しているのは(影は薄くなりつつあるかもしれないが)珍しいのであろうか。
もし珍なら、尚更残したいなとか思ってしまう。

勿論、腹をめす話ではござりませぬ。


☆侠商小曾根英四郎 2018/09/14

 長崎港に入り、大浦の岸壁に船をつけた竜馬は、すぐその足で本博多町の小曾根英四郎の屋敷をたずねた。
 この町でも最も家系の古い商家の一つで、当主の英四郎は、長崎に蔵屋敷(藩の商館)をもたぬ越前福井藩および長州藩のためにその蔵屋敷の機能を代行している。
 いわゆる勤王志士に同情的な侠商で、竜馬の亀山社中もずいぶん小曾根英四郎の厄介になっていた。

 途中省略

「厄介をかけています」
 と、竜馬はほとんど恥じ入りそうな物腰でいった。一口に厄介というが、小曾根英四郎が竜馬の亀山社中への尽しかたはなみなみなものではない。
 小さな一例をあげれば、亀山社中の者が市中で他藩の士と喧嘩沙汰をおこしたり、長崎奉行所の役人をなぐったりするようなことがある。

 途中省略

「幕吏、佐幕諸藩、何するものぞ」
 と市中を肩で風を切って闊歩しているこの白袴どもが乱暴沙汰をひきおこすと、この小曾根英四郎が長崎奉行所へ走って、なんとか揉み消してくれているのだ。
 無愛想者の竜馬が、
「まったく、なにからなにまで」
 と、この町人に小さくならざるをえないのは、そういうことがあるからだった。

 途中省略

「頼みがある」
 と、石炭の一件をうちあけた。薪よりも石炭がいいと思っていても、その石炭代が竜馬にないのである。
 小曾根英四郎は、商人として竜馬とその事業に賭けていた。事業とは、亀山社中の海運業だけでなく、幕府を顚覆して統一国家をつくるという事業まで含まれている。
「ようござんす。石炭代、荷役費、すべてわたしのほうで立てかえましょう」
「いつはらえるか、わかりませんぞ」
「坂本さんの出世払い、ということにいたしておきましょう」
 小曾根英四郎はすぐ港の商館に手くばりして、碇泊中のユニオン号に良質の石炭を積み入れるように命じた。
 ところが、薪をおろさねばならない。二千束もある。竜馬は、せめてその薪を貰っていただきたい、と言うと、
「私はそんなあきんどじゃない」
 と、この長崎第一の富商は笑いだした。
「石炭代のかたしろに薪をいただこうなんて、料簡はもっておりませんですよ。坂本様というお人に賭けているつもりでございますが、どうもそこのところが、まだわかっていただけないようだ」
「いや、甘えてはならぬと思うだけだ」
「もっと甘えていただきます。人に賭けるというのは、商人のしごとのなかでもいちばん度胸の要ることなんでございますが、わたくしはうまれてはじめてそれをやっている。坂本様もそのおつもりになって、私をいい気持にしてくださらないといけませぬ」
「ありがたい」
 頭をさげながら、竜馬は、薪の二千束の始末についてひどく新鮮な案がうかんだ。
(飲んでやれ)
 すぐ陸奥陽之助をよび、薪の売却方を命じた。

 途中省略

 陸奥は、よろこんだ。
「野暮な薪も使いようによっては、とんだ色っぽい燃料にもなるわけですな」

司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」 より

侠商小曾根英四郎 2019/02/05

もっと厄介をかけて、もっと甘えて、もっといいー気持にさせて、・・・みたい。

でも何故、飲んでやれ、が頭を下げながらなのか?
まぁ、浮かんじゃったならそれも仕方ないか。

こんな話もなければ、明治維新ってやつはそんなに重い話ばかりなのか、と萎えてくるし。ねっ、陸奥君。


司馬 遼太郎 著「竜馬がゆく」下巻